2016年6月20日月曜日

ちぐはぐな最近のAKB その2

「僕たちは誰についていけばいい?」というキャッチコピーを見たとき、「AKBって、ついていくものなのか?」と思った。

 AKB48はその黎明期(れいめいき)から、若く愛嬌があるもののまだまだ発展途上の女の子が、「ファンに支えられて」サクセスストーリーを歩む、というストーリーで、成り立っていたのではないか?

「ついていく」と言うからには「ついていく」理由が必要だ。

 彼女たちは安打を数千本打ち守備も良好な野球選手だろうか? それとも映画やCMに出るだけで売り上げを伸ばす女優か? 長年笑点に奉職した噺家か? あるいは(喧嘩を売るつもりはまったくないが)、歌と踊りの練度が日本で五本の指に入るアイドルか? そうゆうわけではないだろう。

 あくまで身近にいて、応援ができ、自分が支えていることが実感できる、キャラクターたちであったはずだ。

 AKB48を支えているのは、今も昔も熱心なファンであるということには、異論がないと思う。
 そのファンはおそらく、何かしらの技能や技術で給料を得て、その給料をグッズ購入に当てている人たちのはずだ。
 AKBの一人ひとりと比較して、人的に見劣りする人間では決してないだろう。

 本当は支えている人々に「ついていく」という表現を与え、支えられている側の人間を高みに上らせるやりかたは、新興宗教で寄付を払う信者と教祖の関係を見ているようで、気分のいいものではない。

 だいたい「僕たちは誰についていけばいい?」という問いかけがおかしい。

 そんなの自分で決めろと言いたい。いやしくもファンなら、好ましいと思う子の一人や二人いるはずだ。
 AKBのメンバーにしたって、そんな自分の好みを決められない意志薄弱な人間についてきてほしいのだろうか?

 それとも、総選挙で晴れて上位に選ばれたメンバーについていくための、問いかけとしての意味だろうか? それまでの自分の好みをさしおいて、多数決で選ばれただけの人間に宗旨替えするのは、不誠実と言っていいのではないか?

 AKB48は各人の「キャラクター」を売りにして、芸能界という業界のニッチ(居場所)を占める戦略を前面に押し出している。はっきり言って、歌唱力やダンス力で勝負しているわけでない。

 そのキャラクターはおおむね、ファンの支えによって形作られて、時に変化さえする。AKBのファンなら、ファンの好みに合わせてキャラクターを軌道修正したメンバーの名前を、一つ二つは上げられると思う。

 一つの概念が二つに分かれていて、その二つが相反する動きをしているとき、我々はそれを「ちぐはぐ」と呼ぶ。
 
「ファンに支えられるAKB」の概念が、その概念が事実であるにもかかわらず、イベントの現場において「ファンをついていかせる」に逆転してしまっている。

 今回の総選挙は、そのように感じられる。

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