2020年9月4日金曜日

漫画『プリニウス』実在人物辞典

★漫画『プリニウス』実在人物辞典


注)

・9巻までに登場した人名を記載(新刊が出るたび順次追加)

・史実でその人が最後どうなったかまで書いているため、必然的にネタバレになります。


※ ※ ※


『テルマエ・ロマエ』で有名なヤマザキマリ女史は、とり・みき氏との共著で『プリニウス』という作品を描いている。

古代ローマの博物学者プリニウスを主人公にすえた歴史ものだ。

日本では限りなく需要の少ないジャンルで、よく出版できたなと思う。

で、その人名事典を作ってみた。

実際はどうゆう人だったの? と調べる際の参考になれば幸い。


★凡例

・架空の人物(口頭筆記官のエウクレス、護衛のフェリクスなど)は紹介していない。

・実在している人物でも、ほとんど名前しか記録が残っていない者は省略している(書くことがないため)。

・人名の表記は、漫画での表記に従う。
 別の本  → ウァルス
 漫画   → ワルス



・プリニウス

ガイウス・プリニウス・セクンドゥス。主人公。政治家、著作家、博物学者。この漫画の主人公。

古代ヨーロッパ最高の博物学者として名が残っており、彼が書いた『博物誌』は、その後数百年にわたってヨーロッパの知識人に参照され続けた。

『プリニウス』の第一巻ではシチリア総督代理として赴いている場面から始まる。

漫画内の「とりマリコラム」にあるように、この時期にプリニウスが何をしていたかは不明。

ただ、晩年は後述のヴェスパシアヌス帝に仕えた。

紀元後79年。有名なベスビオ火山の噴火の調査に行ったきり、帰らぬ人となった。

同時代の有名人は、ネロ、哲学者のセネカなど。



・ネロ

ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス(長い)。一巻目P64から登場。有名な「暴君ネロ」。

ローマ史の徳川家康ともいうべきアウグストゥスのやしゃご。

物語は、彼がプリニウスを自分の竪琴のリサイタルに呼びつけることによって動き出す。

作中では、政治的なことを含め、事あるごとに干渉してきた母親を殺害した直後で、悪夢に悩まされ情緒不安定な状態にある。

この不定の狂気は最後まで改善されず、のちに政治的に追い詰められ自決した。

なお、作中の「有名人を自分の演奏会に呼びつける」「皇帝のくせにお供をはべらせて売春宿へGO」は、実際にやっていたこと。

肝心の歌唱力は、うまくもヘタでもないレベルだったようである。

ちなみに、夜遊び仲間の一人に、古代ローマ版明智光秀であるオトーがいる。



・ウェスパシアヌス

ネロとともに登場。軍人、政治家。

作中ではプリニウスと手紙をやり取りする仲だが、実際はどの程度親しかったのかは不明。

作中ではネロの演奏会でプリニウスがあくびをしているが、ウェスパシアヌスの方は実際に居眠りをやらかしている

そして宮廷から追い出された。

漫画ではキャベツを育てているが、実際に育てていたかは不明。

ただ、ダジャレ好きは本当だったらしい。

現在のイスラエルで起こった(やっかいな)紛争の指揮をとって実力をみせつけたあと、ネロ亡き後の内乱に参加。

最後まで勝ち残り、皇帝となった。



・アグリッピーナ

ネロの母親。作中ではすでに故人、というか、ネロが殺した。

初代皇帝アウグストゥスの血を引いており、そのことを何かと鼻にかけた。

さらに気が強く、かんしゃく持ちで、人のえり好みが激しく、知性があるとも言いがたかった。

つまり、現代日本にいたら、「毒親」認定されていた人。

息子のネロが明らかに、生育環境の不備からくる反動でいろいろやらかしたこともあって、心理学の「アグリッピーナ症候群」の語源になっている。



・ポッパエア

ネロの愛人。気が強い、正妻を追い出した、浪費癖もある、と悪女の三拍子がそろっていて、民衆に嫌われた。

アグリッピーナと似た気質を持っていたのだが、彼女が持っていた目端の良さや直観力は持ちあわせていなかった。つまりアグリッピーナの下位兌換

漫画ではそこそこの才女として描かれていて、悲劇のヒロインみたいな描写さえあってびっくりしたぜ。

正妻のオクタウィアを処刑させ、ネロとの結婚までこぎつけるも、民衆の嫌悪は変わらず、ますます情緒不安定になっていった。

ある日ケンカしたはずみでネロに殴られて死亡した。懐妊中だった。



・オクタウィア

ネロの正妻。血筋的にはネロの遠縁にあたり、上流階級である。

アグリッピーナの音頭取りでネロと結婚したものの、アグリッピーナの死後破綻する。

ポッパエアにそそのかされたネロによって「反逆罪」の罪を着せられ、流刑先の別荘で斬首された。

貞淑でおとなしい性格だったそうだが、それ以外の記録がほとんど残っていない。



・セネカ

ルキウス・アンナエウス・セネカ。古代ローマ史の中で、もっとも有名な哲学者の一人。

幼少期のネロの教師役を務め、成人後は政治顧問として仕えた。

ストイックの語源である「ストア派」の学者だが、蓄財に無関心ではなかったため、かなりぜいたくな暮らしをした。

おかげでほうぼうから、「おまえ自分の哲学できてへんやんけ」とつっこまれている。

精神不安定になったネロに耐えきれず隠退。のち、暗殺に加担した嫌疑をかけられ、自決に追い込まれた。

「ストア派」の重要人物なため、著作はほぼ全部、日本語訳で読める。

もっともストア派は自体、哲学史で重要な位置を占めていないのだが。



・ブッルス

ネロの最も重要な側近の一人。親衛隊長官。

セネカが民事担当なら、ブッルスは軍事を担当した。

戦場で腕をなくしていたらしく、作中でも左腕を直接見せないよう、ひだ状の布(ウンボーというおしゃれアイテム)でおおっている。臨終の席では義手らしきものをつけさせられている。

なお、漫画のように、プリニウスと顔見知りになっていたかは不明。

武官と博物学者だから、あまり面識はなかったとは思う。

ネロの治世の途中で死亡。

漫画では、病気で弱っているところを毒殺されたかのような描写がなされているが、実際暗殺されたかどうかは不明。

残っている症状の記録から、病気はおそらく喉頭ガンだろうと言われている。



・ティゲリヌス

第4巻P117で登場。ブッルス亡き後、親衛隊長官になった。

実力よりも、人にとりいって出世するタイプの人物。讒言(ざんげん)を手段として使ったこともあって、周りの人間に恐れられた。

作中ではおそろしい策士として描かれていて、主要人物のだいたいの暗殺にからみ、ローマの大火を長引かせ、ついにⅧ巻の帯に横顔を飾るまでになった。Ⅶ巻の帯が月桂樹をかぶったネロであることを考えると、大した出世である。

実際は、トリックスターのようにせっせと大火や毒殺に加わっていた証拠はない。

もっとも、こんな想像を膨らまされてもしょうがない性格ではあったのだが。

ネロ失脚直前、こっそり姿を消すなど狡猾すぎる身の振り方したものの、新たな皇帝となったオトーに命じられて、自殺した。



・サビヌス

ローマ市の警視総督(裁判権を持つ警視総監のような役目)を務める人物。ヴェスパシアヌスの兄。

漫画では、ポッパエアの要請で、ローマの大火の真犯人捜しに協力している。

ただ、この時期の警視総督は上流階級への裁判権がなかったみたいなので、突き止めても手は出せなかっただろうが。

有能で慕われたが、ネロ亡き後の内乱のさ中に死亡した。



・ペトロニウス

Ⅷ巻P99で登場。政治家、小説家にして、ネロの夜の遊び友達。

ネロの宮廷では趣味人で通っていた。

ティゲリヌスの讒言を受けたネロに兵を差し向けられ、手首を切って自決した。

彼が書いたと言われている『サテュリコン』は、風刺小説として、日本語でも読める。

國原吉之助訳『サテュリコン』岩波文庫



・ピソ

ガイウス・カルプルニウス・ピソ。ネロ暗殺未遂事件である「ピソの陰謀」の主犯。

名門の出身で、先祖に何人も元老議員(元老院は自由と民主の象徴、と元老議員の多くは考えている)を輩出している。

ピソ自身もそのことを強く意識していたらしく、「独裁的」だったネロの暗殺を決意した。

暗殺が失敗した時の連座を恐れた解放奴隷(奴隷から自由な身分になった存在)のタレコミによって、計画が発覚し、自決した。



・ラテラヌス

次の執政官(ローマ行政上の最高位)に予定されていた元老院議員。愛国心から、ピソの陰謀に加わったと言われている。

実行時には、ネロの引き倒す役をやるはずだった。

露見後に、早々と首を斬られた。



・スカエヴィヌス

元老院議員。ピソに同調して、ネロの暗殺計画に加わる。

ネロに最初の一撃を加える役を買って出たが、それ用の短剣を研ぐように命じた解放奴隷に裏切られた。



・ミリクス

タレコミを行なった解放奴隷。どうも妻の尻に敷かれるタイプだったようで、口うるさくそそのかされ、結局主人を裏切った。

密告の礼としてネロから褒章はたんまりともらえたようだが、それ以後、歴史からは姿を消している。



・カッシウス・ロンギヌス

ピソの陰謀に加担した罪でとがめられる。

「ブルータス、おまえもか」のセリフで有名なブルータスの相棒、というか、シーザー暗殺の実質的な主導者であるカッシウスの子孫。

彼自身は地味な法律学者として過ごしていたが、ほぼまちがいなく濡れ衣を着せられ、歴史に名を遺した。

死こそ免れたものの、晩年は失明するなど、厳しい生涯を送った。

ちなみに、ロンギヌスという名はローマではありふれていて、有名な「ロンギヌスの槍」と直接の関係はない。



・ティトゥス

ヴェスパシアヌスの息子。父に従いエルサレムの戦乱に参加。有名なマサダの要塞を攻略したりした。

のちに皇帝になった父の跡を継ぎ、皇帝になる。

プリニウスの代表作(というか、現代まで残っているほぼ唯一の著作)である『博物誌』は、皇帝となった彼に献辞がささげられている。

ただ、精力的に働きすぎたせいか、在位二年目で病死。ベスビオ火山の噴火の、被災地救援中のさなかであった。




・コルブロ

この時期のローマで最高の将軍の一人。

長く軍人として奉職する。晩年はパルティア(アケメネス朝ペルシャの流れをくむ専制君主国)との戦線を支え、ついに有利な条件で講和を結んだ。

ところが、娘婿アンニウスが彼を(勝手に)皇帝にしようと策動したため、彼自身にも類が及ぶ。

ネロに自決を命じられて、果てた。生きていれば、皇帝になれただろうと思われる。



・ティリダテス

パルティア国王ウォロゲセスの弟。弥勒信仰の元ネタ説があるミトラス教の神官。

パルティアの衛星国であるアルメニアの王位をウォロゲセスより与えられるものの、それに反対するローマから派遣されたコルブロの軍と交戦する。

その後、コルブロと会見をし、ローマでネロの手で戴冠式を行うという政治的妥協で、アルメニア王となった。



・ドミティアヌス

ティトゥス・フラウィウス・ドミティアヌス。ウェスパシアヌスの息子。のちに皇帝。「暴君」として名をのこす。

政治家としては理想主義的なところがあって、たくさんの汚点を残した。

女漁りが多く、体育競技と芸術に没頭し、キリスト教徒を迫害するなど、ネロそっくりの失点を重ね、ついに暗殺された。



・ドミティア

コルブロの末娘。

作中でドミティアヌスと会った時「同じ名前」と言っているが(ドミティアヌスの女性形がドミティア)、ローマ人は名前のレパートリーが少ないので、名前がかぶるのは珍しいことではない。

のちに、ドミティアヌスと結婚している。



・アリウス=ワルス

コルブロの幕僚。アルメニア戦線で援軍(ローマ式に訓練された他民族の軍)の隊長として勤務。

漫画では、クーデター未遂にからむコルブロの審問の際、彼に不利な証言をした。




※人名追記


・ウィンデクス

漫画では登場していないが、のちに出てくるかもしれないので記述。

現代のフランス出身で、そこの総督。悪政をするネロに反感を抱き、人を募って反乱を起こした。

そのとき、ガルバにネロに代わって指導者になるよう要請した。


・ガルバ

漫画(第9巻の時点)ではまだ登場していない。

軍人、政治家。現代のスペインにあたる地域の総督。

当時すでに、70歳を超えたベテランだったものの、ネロ打倒に立つ。

※ ※ ※

★参考文献

コルネリウス・タキトゥス『年代記――下巻』國原吉之助訳 岩波文庫

ダイアナ・バウダー『古代ローマ人名辞典』原書房


★名前の余談

・エウクレス

古代地中海世界では、名前でその人の出自が推測できる。

例えば「クレス」とついていたら、だいたいギリシャ系である。

なお、先輩書記のアルテミオスも、ギリシャの女神のアルテミスにちなむ名のはずで、つまりギリシャ系の可能性が高い。


・フェリクス

フェリクスは「幸運な」の意味。おっちゃんになかなか似合う名前である。

作中では尻に敷かれているが、首都ローマに家を持ち、貴族に直接仕えているなど、軍人としてはわりと恵まれた境遇。



・タニティア

作中で登場するカラス使いの子ども「タニティア」の名前は、おそらくタニト女神からとったもの。

タニト女神はフェニキア人(地中海沿岸部に在住の海洋民族)の神で、古代エジプトのアンク(遊戯王の《死者蘇生》のマーク)に似たシンボルで表される。


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