2018年1月15日月曜日

『帰ってきたヒトラー』 人名事典


 
 ドイツの小説の『帰ってきたヒトラー』(原題:Er ist wieder da )は、注釈と言うものがあまりない。
 
 つまり日本人の読者は、ドイツ人もよく知らないようなヒトラーの側近およびゆかいな仲間たちにノーヒントで立ち向かわなければならないことになる。
 
 これは無理ゲーとは言わないまでも無駄に難易度が上がっていると思うので、人名事典を公開したい。





 人名の順番は、筆者がまちがえていなければ原則出てくる順で、上巻と下巻にわけた。名前は小説での表記に従っている。
 
 なお、主にヒトラーと同時代人を扱っており、風刺的に出てくる現代の政治家などは扱っていない。ほら、彼ら彼女らはヒトラーやゲーリングと同列で語るには役不足な小物だろうし、筆者も調べるのがめんどうくさい。
 
 ここでは、ヒトラーがどうゆう人々と関係があったかを伝えたい。


▼上巻
 

アドルフ・ヒトラー

 ドイツの政治家。のちドイツ第三帝国総統。世界中の人にちょび髭=独裁者の印象を植え付けた張本人の一人(残る一人はスターリン)。
 第一次世界大戦に一兵卒として参戦し、大戦後は当時ドイツに無数にある弱小政党の一つだった「ドイツ労働者党(ナチス党)」に入党。党首となり、ほぼ独力でドイツの第一党へと押し上げ、史上最も有名な独裁体制を敷く。
 第一次世界大戦後の不平等体制である「ヴェルサイユ体制」の打倒を目指し、第二次世界大戦を引き起こす。大戦最末期、敵がせまるベルリンで自殺したとされている(死体は見つかっていない)。
『帰ってきたヒトラー』では、その彼が突如現代のベルリンで目を覚ますところから、話が始まる。
 

チャーチル

 浮き沈みの多い人生を送った、軍人、記者、政治家。政治家として記憶されている。「タンク(戦車)」の名前の発明者。「Vサイン」を世界に広めた男にして、四角い顔をしたノーベル文学賞受賞者。
 貴族の出で、ボーア戦争に従軍。無謀な指揮で少なからぬ戦死者を出したが、本国ではさほど問題にされなかった。運がよかったのだろう。
 政治家になった後は、閣僚になったり落選したりして浮き沈みの多い人生を送るが、最終的に第二次世界大戦で首相となり、イギリスを勝利に導く。「サンドイッチ」、戦闘機の「スピットファイア」と並んで、イギリス人が誇りを懐く存在となった。
 軍人として出征し、文筆で名を挙げ、指導者になるところは、ヒトラーと奇妙に似ている。
 

カール・デーニッツ

 ヒトラー政権下で潜水艦隊司令長官、のち海軍総司令官。「U-○○」とかつくアメリカの潜水艦映画の元ネタとなる、潜水艦や新兵器、及びそれらの使用した作戦を実行に移した男。
 ヒトラーの死後、短期間だが国家元首となり、ドイツの無条件降伏および戦後処理を指揮するも、「戦争犯罪人ヒトラー」の後継者ということで彼も長く刑務所に服役する事になる。
 その刑務所では看守のアメリカ兵と雪合戦をして看守ともども罰を受けたりしている。
 自伝を書いていて、絶版だが、大きな図書館になら置いてあるかもしれない。
山中静三訳『10年と20日間――デーニッツ回想録』光和堂
 

エヴァ・ブラウン

 アドルフ・ヒトラーの妻。1945年4月29日に結婚。次の日にヒトラーとともに自殺。
 ヒトラーとの馴れ初めは1929年とさかのぼるものの、ヒトラーは女よりも政治の方が好きだったので籍を入れてもらえず、それまでも自殺未遂を二回している。体育が得意科目だったのに、控えめな性格の女性。
 ものの話によるとヒトラーと心中したとき、道づれにされた彼の飼い犬より同情を買わなかったそうだ。
 

スターリン

 ソ連の独裁者。ヒトラーのライバル。たぶん、史上最も人を殺した指導者。本名ヨシフ・ベサリオニス・ジュガシヴィリ。
 政治的暗闘がうまく、ソ連邦成立の立役者レーニンが忌避していたにもかかわらず彼の後釜になる。その後はもろもろの改革を失敗させたり成功させたりしながら、順調に政敵を殺しまくり、本人はたたみの上で死んだ。その冷酷な手腕には、ヒトラーも一目置いていた。
 

マルティン・ボルマン

 ヒトラーの官房秘書。影の総統。ゲッベルズいわく「テレタイプ将軍」。抜群の記憶力と事務処理能力でヒトラーの側近となり、ヒトラー統治の後半にはボルマンを介さないと総統と会見できない事態にまでなった。そのため、戦況について相談をしたい軍人たちの受けは悪く、グデーリアンなんかは自伝で罵倒している。
 ヒトラーの自殺直後、自殺した可能性が高いが、彼のものと断言できる死体は見つかっていない。おかげで生存説が独り歩きし、筆者含め歴史ファンを楽しませている。
 

ベルンハルト・ルスト

 第一次世界大戦に従軍後、ナチス党に加入。哲学の博士号をもつインテリだったせいか、順調に出世し、管区指導者→国会議員→教育大臣になる。
 教育大臣時代に学校にナチス式敬礼を導入したり、政治的に好ましくない学者を追放したりした(なおその中にアインシュタインがいた)。
 最後は教育行政にまで持ち込まれた政争に破れ、ドイツが降伏したその日に自殺した。

ケマル・アタテュルク

 トルコの指導者・改革者。疲弊したオスマントルコ帝国を打倒し、共和制に移行させた。歴代トルコの指導者の中ではスレイマン2世と並んで、世界史Aの教科書にのっているようなメジャーな人物。

アイゼンハウアー

 日本語では「アイゼンハワー」と表記されることが多い。第二次世界大戦時のヨーロッパ連合軍の最高司令官。ヒトラーのいるドイツ本国への侵攻を指揮した。1953年にアメリカ合衆国の大統領に選出される。
 

シャルンホルスト

 ドイツがまだプロイセンと呼ばれていた頃の人物。
 プロイセンがナポレオンにボコボコにされたあと、軍の再建に力を注ぎ、それまで傭兵主体だったプロイセン軍を国民主体に(つまり義務兵役を導入)する。
 ナポレオン軍との戦いで傷を負い、戦病死。ドイツでは長く偉人として記憶され、戦艦の名前にもなった(そして、ついに艦娘に列せられてしまった)。
 教え子の一人であるクラウゼヴィッツの『戦争論』は、これを読んでいるかいないかで単なるミリオタか真面目に軍事を知ろうとしているかが分かれる本である(筆者はもちろん読んでいる)。
 

カエサル

 初代ローマ帝国皇帝。ハゲの女たらしにして、古代ヨーロッパ最高の将軍。「フェイト」のおかげで変な方向に有名になったネロのご先祖様。
 ヨーロッパでは古典として古代ローマ語を学ばされるのだが、彼の書いた軍事記録がほぼ必ず出てくるので、古代語嫌いの学生に嫌われている。
「ブルータス、おまえもか」と、ブルータスに暗殺されたことでも有名。
 

ゲーリング

「総統の係留気球」「太っちょゲーリング」「モルヒネ中毒者」とあだ名にかかない、ヒトラー総統のもっとも有名な側近の一人。誰もがおどろくが元エースパイロットである。
 第一次世界大戦にパイロットとして従軍したのち、ナチス党に入党。ヒトラーとともに一揆を起こした。そのときに左大腿部に銃弾を受け、鎮痛剤のモルヒネを服用し中毒となり、以後順調に気球体型になった。
 第二次大戦中は「空軍大元帥」なる厨二心をくすぐる役職に就き、フランス戦を成功させたりイギリス空襲を失敗させたりした。
 戦後死刑判決を受ける前後の立ち振る舞いのかっこよさに定評がある。
 

ビスマルク,フリードリヒ大王,カール大帝、オットー大帝

 いずれも、現在のドイツの地域を支配した君主。
 ビスマルクは「鉄血宰相」で有名な人物。
 フリードリヒ大王は、四方八方の敵を打ち破った軍事の天才。
 カール大帝は主に八世紀の人物で、西ローマ帝国の皇帝として、現在のフランスとドイツ、イタリアの地域を支配した。
 オットー大帝は、上三人に比べたら弱冠マイナー。神聖ローマ帝国の皇帝。
 

パウルス元帥

 スターリングラード攻撃の司令官。「スターリングラード攻防戦」を描いた映画では、ちょくちょくでてくる。
 善戦したものの、いわゆる「冬将軍」に負けて降伏。この降伏を、ヒトラーは最後まで許さなかった。
 

カイテル

 ドイツ国防軍最高司令官として、ヒトラーの補佐を行なう。ヒトラーいわく「犬のように忠実」。気弱で事務能力が高く、おべっかも言ってくれるので、ヒトラーからすれば扱いやすい人間だったようだ。

ゲッペルズ

 ヒトラーの最も有名な側近の一人。側近の中で唯一、無私でヒトラーに忠誠をつくした人物。足の不自由なイケメン。
 足が不自由なため戦争(第一次大戦)にいけなかったことがコンプレックスとなり、そのことが本人の人生に影を落とした。
 宣伝相として、嘘、誇張、プロパガンダをくり返し、最後には軍務経験皆無なのにベルリン防衛のための総司令官になる。
 のちヒトラーのあとを追って妻とともに自殺。そのさいゲッペルズ夫人が四人の子どもを道連れにするさまは、映画「ヒトラー最後の12日間」に迫真的に描写されている。
 彼については、以下の書籍が参考になる。
平井正『ゲッペルズ』中公新書
 

ロベルト・ライ

「歓喜力行団(かんきりっこうだん)」という、ワープロソフトの予測変換が出ない組織の代表者。この組織はいわゆる国民全体にレジャーを提供する組織で、標語は「喜びを通じて力」。
 この団体は、それまで海外旅行が一般的でなかったプロレタリアート階級に、ポルトガル辺りまで舟遊びをさせたり、またフォルクス・ワーゲンビートルの普及にも一役買ったりした。
 ライ本人はとくに目立った活躍がないまま、戦後収監された刑務所で自殺した。

ムッソリーニ

 イタリアの政治家。ファシスト運動の成功者。「イタリアの列車を時刻表どおりに来るようにした男」。四角い顔の古代ローママニア。
 地方分権の傾向が強く分裂状態だったイタリアを、「ファッショ運動」によって統一し、その政治理念どおり独裁者(ドゥーチェ)となる。
 ナチズムはファシズムの影響を強く受けており(上記の歓喜力行団とか)、ヒトラーも終始ムッソリーニに敬意を払い続けた。
 ヒトラーとムッソリーニの書簡集が残っていて、日本語訳も出ている。
大久保昭男訳『ヒトラー=ムッソリーニ往復書簡集』草思社
 

レニ・リーフェンシュタール

 女流映画監督。ヒトラーの愛顧を受け、ベルリンオリンピックの記録映画を撮ったりする。この愛顧のおかげで第二次大戦後、ずいぶん冷や飯を食わされた。
 最近まで存命で、内戦で有名な南スーダンのヌバ族の写真集などを出版している。
 

ケンプカ

 エーリヒ・ケンプカ。ヒトラー車の運転手。もともとは自動車修理工。本来、歴史に名を残すような人物ではないが、自殺後のヒトラーの焼却にかかわったことで、ウィキペディアに個別記事が組まれるまでになった。
 

シューペア

 アルベルト・シューペア。建築家、軍需大臣。
 建築の趣味があったヒトラーに重用され、建築家なのに軍需大臣に就任。空襲でドイツが焼け野原になっているのに軍需生産率をあげた恐るべき男。
 おそらく、ヒトラーの側近の中でもっとも有能。回想録も書いている。
品田豊治訳『第三帝国の神殿にて』中央公論新社
 

ブラウヒッチェ元帥

 第二次世界大戦初期の陸軍総司令官。ポーランドやフランス、バルカン半島での作戦を成功させる。日本とも縁があって、ドイツを訪れた山下奉文将軍に日本刀を送られている。
 モスクワを攻略戦の際、ヒトラーと意見が対立して解任される。

グデーリアン

 ドイツ陸軍の将軍。のち第二次大戦後期には陸軍参謀総長。当時の新戦術だった「電撃戦」の発案者。
 電撃戦の発案者は3人いて、ヒトラー、マンシュタイン(グデーリアンの同僚)、グデーリアンだった。うち、本当に電撃戦について理解していたのは、マンシュタインとグデーリアンで、実施する幸運に恵まれたのがグデーリアンだった(マンシュタインは上官の不興を買って後方支援)。
 電撃戦の様子は自著にくわしい。
本郷健訳『電撃戦――グデーリアン回想録』中央公論社
 また、以下の書物も参照してもよいだろう。
ハインツ・フリーザー『電撃戦という幻』中央公論新社
 

ヒムラー

 作中のヒトラーいわく「メガネをかけた裏切り者」。ナチスの大物で、ゲシュタポの親玉。
 ヒトラーの忠実な部下で、ヒトラー以上にナチス式人種理論に凝り固まった人物。それを忠実に実行できる立場にあったため、多くの死者が出た。
 女好きなのに質素倹約という、矛盾するように見える性格を持っていた。
 戦争末期、ヒトラーの意思に反してアメリカ、イギリスと講和しようとしたため、逮捕命令が出されるものの、その彼がほとんどの警察権を掌握していたため、実行できなかった。
 彼が統率した親衛隊及びゲシュタポの参考文献はこちら。
ハインツ・ヘーネ『SSの歴史』講談社学術文庫
ジャック・ドラリュ『ゲシュタポ 狂気の歴史』講談社学術文庫


ヨードル大将

 ドイツ国防軍最高司令部の作戦部長。陸海空軍の調整役。
 バイエルン陸軍(第一次大戦時、ドイツでは地方ごとに軍隊があった)→ヴァイマル共和国軍→ドイツ第三帝国軍と、多用な軍歴を誇る。
 終戦時戦争犯罪人として死刑。のち、名誉回復裁判で罪状が取り消されたが、アメリカの横やりでこれが取り消された。 
 

ダグラス・エンゲルバート

 初期のコンピュータ技術者。パソコンのマウスの発明者。
 いろいろ調べたけど、パソコンに関して無知なため「マウスの発明者」以外、業績がよくわからない。

コンラート・ツーゼ

 世界初の完全動作するプログラミング式コンピュータ(機械式コンピュータなら、すでにあった)を作った人。ついでに世界初のコンピュータ会社の設立者でもある。
 もともとは土木技師で、土木で必要だったからコンピュータを作成した模様。つまり、この時代によくいる変態的ドイツ人。
 決定版ともいえる「Zuse Z3」は、部品に真空管を使わなかったこともあって現在のコンピュータの祖先とは言えないものの、復元されたものがミュンヘンの博物館に永久展示されている。

シャハト

 ヒャルマル・シャハト。ドイツ帝国銀行総裁を就任後、ヒトラー内閣の経済大臣を兼任。無任所相のとき、ヒトラーに軍事費の抑制を主張して解雇。そのうえヒトラー暗殺事件に連座したとされ逮捕までされた。
 ニュルンベルク裁判の被験者では、一番知能指数の高い人物。
 戦後も生き残り、ブラジルやエチオピアなどの発展途上国に財政上のアドバイスをした。
 

アドルフ・ミュラー

 ヒトラーの運転手、ナチスの機関誌「民族の観察者」の印刷をとりしきる。戦後、ピストル自殺。
 

フランツ・フォン・パーペン

 初代ヒトラー政権の副首相。ヒトラーが政権をとる前の、ドイツ政財界の大物。
 もともとはドイツ第二帝国の皇帝に、騎兵将校として仕え、帝政崩壊後には政治家に転身。コネを頼りに首相にまでのぼりつめる。 
 彼の内閣は、騎兵隊出身の貴族が多くて不評だった。
 退陣後はヒトラーに接近し、彼が政権をとる手助けをする。その功績で初代ヒトラー政権の副首相に就任するも、急進化についていけなかったため失脚。その後はオーストリアやトルコなど、重要度が低いわけではないが中央の政界からは遠い地域に飛ばされた。
 なお、彼の知り合いを調べてみると、ヒンデンブルク、ルーズベルト、時のローマ法王など、そうそうたるメンバーが名を連ねる。知人は有名だけど本人は(ほぼ)無名、とゆうタイプの人物だったようだ。


ヒンデンブルク

 本名パウル・ルートヴィヒ・ハンス・アントン・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク。早口言葉か。
 第一次世界大戦のロシア戦線で指揮官として大勝した後、共和制になったドイツで大統領に就任。だがほとんど英雄として祭り上げられていた彼でもドイツの混乱を収めることが出来ず、「郵便局長がお似合い」と評していたヒトラーに組閣を命じることになった。

 墜落する飛行船の名前の由来として有名。

 

アデナウアー

『帰ってきたヒトラー』のヒトラーいわく「前科者」。元々はドイツのケルン市の市長で、1933年に政権を掌握したヒトラーと握手を拒んだため役職を追われる。その後「ヒトラー暗殺未遂事件(1944年度版)」のとばっちりを受けて逮捕されるも脱走。
 第二次世界大戦後は「キリスト教民主同盟」を創立し、のち49年に西ドイツの首相。ドイツの復興に尽力した。
 余談だが、「アデナウアー」とネットで検索をかけるとひっかかる「アデナウアー・パラヤ」は、まったくの別人である。
 

キージンガー

 アデナウアーとともに、ヒトラーに「前科者」の烙印を押された一人。政治家で、第二次世界大戦後は首相として連立政権を樹立している。作中でヒトラーに「甘ちょろい党員」とこき下ろされているのは、1933年にナチスが応募者多数で党員の新規入党をうち切る直前に、いわゆる「かけこみ入党」したため。
 このナチスに参加したという経歴が、彼の政治生命の命取りとなった。
 

エアハルト

 作中での評は「デブの経済占い師」。政治家で、経済相、首相を歴任。第二次世界大戦後のドイツの復興の立役者とされている。昔のドイツマルク硬貨に顔が描かれているが、こんなに貨幣栄えしない顔も珍しい。
 

ヴェルナー・フォン・ブラウン

 全てのミサイルおよび宇宙ロケットの父。ガンダムに出てくる月の都市「フォン・ブラウン」の元ネタ。
 幼い頃から宇宙ロケットに興味を持ち、ベルリン工科大学で工学士の学位を得た後、ナチス・ドイツ体制下で研究を続ける。第二次大戦中、史上初の大陸間弾道ミサイルであるV-2号を開発。主にイギリスとベルギーに発射され、目標から10キロずれた地点に着弾とかざらだったくせに、かなりの死者を出した。

 ブラウンはその後アメリカの捕虜になり、そのまま移住、ロケットの開発を続けた。これが人工衛星を搭載したロケットや、スペースシャトルの開発につながっていくことになる。
 

陰気くさいオーラを自信満々に放っている不恰好な女

 ドイツの女性首相メルケルのこと。2018年2月現在、在任中。
 かつての東ドイツ出身。おそらくドイツ統一後の東西の宥和のためと、ウーマンリブがさかんな時代だったため、首相に選出された。彼女が西ドイツ出身の男だったなら、たぶん首相にはなれなかっただろう。
「多文化主義は失敗」と言いながらも、シリア内戦の難民を移民として受け入れたりして、政策的に一貫できないでいる人。
 CIAに電話を盗聴されたことがあるので、重要な人物とは思われているようだ。
 

オットー・ヴェルス

 作中のヒトラーいわく「愛国心のない最低のルンペン」。ドイツ社会民主党の党首で、政権をとる前のヒトラーの政敵の一人。「全権委任法(平たく言うと、ヒトラーに全てをゆだねよう的な法律)」の成立時、反対演説を行なった。そのときの演説とされるものが、You Tubeで聴けるので興味があるならクリックしてみるといい。
 

パウル・レーべ

 ヴァイマル共和国での国会議長。この時期のドイツ人男性としてはめずらしく、第一次大戦に従軍していない(肺をわずらっていたため)。
 いわゆるブンヤさんで、政府批判を行なったためしばしば投獄された。

エルンスト・レーム

 ヒトラーの突撃隊の初期の指導者。一時ヒトラーと仲たがいしてボリビア軍の軍事顧問になっていたが、やがて呼び戻される。
 しかし、突撃隊を正規軍にしたい彼と、正規軍は国防軍に限りたいヒトラーとの反目は決定的になり、趣味が男色だったこともあって、行為の最中に射殺された。
 三島由紀夫の傑作戯曲『我が友ヒトラー』は、レームの視点からヒトラーが書かれている。
 

ルーズベルト

 第二次大戦時の米国大統領。世界史の教科書にも出てくる。博識で病気がちだが、思想的には反帝国主義で一貫していた。当然ヒトラーと相容れず、同盟国のチャーチルとも相容れなかった。第二次世界大戦中に病死。現代では合衆国海軍の空母の名前になっている。
 

ベートマン・ホルヴェーク

 ドイツ第二帝国宰相。第二次モロッコ事件、サラエボ事件など、世界史のターニングポイントとなった事件にかかわった。
 モロッコ事件では融和政策に成功したものの、サラエボ事件では失敗。第一次大戦中は好戦的な人物とみられなかったため、陸軍参謀本部に追われる形で辞任した。

アントネスク

 ルーマニアの軍人、政治家。第一次世界大戦に参謀将校として従軍後、1940年に国家指導者に選出される。ヒトラーの率いるドイツと友好関係を結び、第二次世界大戦では同盟国として参戦する。本人はユダヤ系の妻をめとったくせに、ユダヤ人迫害に加担した。
 ルーマニア敗戦後、新たに成立した共産主義政権のもとで処刑される。
 

インゴ・アッペルト

 上巻P218ページで名前が登場。1967年ドイツのエッセン生まれ。実在するタレント。
 テレビを中心に活動していて、本やCDも出している、ってウィキペディア先生(ドイツ語版)に書いてある。
 

ホーネッカー(東ドイツ国家評議会議長)

 頑迷な共産主義者。とくに学も才能もなかったが、ナチスドイツに投獄された経験がソ連にうけて、最終的に東ドイツの最高責任者にまでなる。ベルリンの壁を越えようとした市民を積極的かつ効率的に射殺するよう命じた。
 あまりの無能ぶりと、社会主義の理念に反した贅沢な暮らしのため、ベルリンの壁が崩壊する直前にソ連に見限られて失脚した。
 市民の怨嗟の声が渦巻く中、裁判にかけられるのを防ぐため自分でガン細胞を移植、おそらくそのガンが転移して、亡命先のチリで死亡した。
 

ペタン

 フランスの軍人、政治家。今のところ、フランスで首相と国家主席を兼任した唯一の人物。ヒトラー、チャーチル、ド・ゴールの間に埋もれた隠れキャラ。
 第一次世界大戦の「ヴェルダン要塞攻防戦」で功績を挙げ、「救国の英雄」となり、政治の世界に入る。しばらくは目立たない生活を送っていたが、第二次世界大戦でフランスがあっという間に占領されると、窮余の策として引っ張り出され、国家主席と首相を兼任する指導者として祭り上げられる。温泉町ヴィシーにできたこの政権のスローガンは「祖国、家族、労働」
 本人はナチズムとほとんど共鳴するところはなかったが、彼の下にいた閣僚が対ドイツ協力で色々やらかし、彼も責任を問われて島流しになる。
 彼の元部下に、フランスに核兵器を持たせて偉大にする男ド・ゴールがいる。
 余談だが、ガルパンの「BC学園」はこのヴィシー政府がモデルと言われている。(ただし、つづりが違うのだが… ヴィシー=Vichy)。
 彼の指導したヴィシー政権については、以下の書物が詳しい。
ロバート・パクストン『ヴィシー時代のフランス』柏書房 
 

ホルティ

 ハンガリーの軍人、政治家。第一次世界大戦時、アドリア海(「紅の豚」舞台)の制海権を巡る戦いで活躍した後、ハンガリー王国摂政になり、ゆるやかな独裁体制を敷く。
 ヒトラーのナチズムには否定的だったが、地政学的な理由からドイツに協力。のちドイツに叛旗を翻してつかまったときも、あまりにも庶民に人気がありすぎて処刑されなかった。
 

ユリウス・シュトライヒャー

 風刺家、ではなく単なる文筆テロリスト。反ユダヤ主義の新聞「シュテルマー」の編集者。その内容は「ユダヤ人と付き合うとユダヤ菌がうつる」的な内容で、他の反ユダヤ主義者からも嫌悪された。
 ユダヤ人だけ書いていればいいものも、ゲーリング(の娘)まで槍玉に挙げて彼の怒りを買い失脚。農夫としてつつましく暮らすはめになった。
 終戦後、ユダヤ人迫害を扇動した罪を問われ、死刑になるような大物ではなかったのに死刑。なお死刑前の知能検査では、被験者十人中最低だった。
 

ワーグナー

「地獄の黙示録」でベトコンを掃討するときに流れる曲を作った人。
 

チャップリン

 チャールズ・チャップリン。喜劇を知らない人にも知られた、無声映画最高の喜劇俳優。
 筆者は、「この人のファンだ」と言う人を、21世紀の日本でも会ったことがある。
 

ロシアのあのいかがわしい指導者


プーチン元大統領のこと。
 

リッベントロップ

 ヒトラーが指揮したドイツ第三帝国の外務大臣。背の高いイケメン。醸造家の娘の婿だったため、ついたあだ名が「ワイン外相」。在任期間のほとんどが戦争だったため、いまいち活躍できなかった。



●下巻
 

ラインハルト

 ラインハルト・ハイドリヒ。ナチスの人間で、もっとも冷酷かつ有能だった人物。ヒムラーの部下。ドイツのほとんどの警察権を掌握したフェンシングのオリンピック代表選手にして、チェコの実質的総督。インターポール総裁で、ついでに空軍パイロット。つまり、この時代によくいる変態的ドイツ人の一人。
 母親の苗字がユダヤ人っぽいおかげで子どもの頃いじめられ、それが常時そう病的ともいうべき性格を作り出した。
 ものすごい勢力家で、ナチスの重要な政治工作のほとんどに関与しつつ、情報収集用の売春宿(彼はスパイ小説が好きであった)を設置したり、それを自分で利用したり、パイロットとして対空砲を撃破したりした。妻によればほとんど家におらず、いても体育競技のトレーニングとかをしていたそうだ。
 当時占領下にあったチェコの実質的総督に就任すると、懐柔で軍需生産を上げ、敵国のイギリスが危惧する事態になった。
 そのイギリス軍が送ったチェコ人のコマンド部隊によって、オープントップのメルセデスベンツを乗り回しているところを暗殺された。
 なお、その後報復といって差し支えのない捜査が行われ、多くの無関係な人が殺された。死んでも迷惑な人物であった。
 

エルンスト・ハンフシュテングル

 ナチス党の新聞局局長。アメリカに留学経験のある。温和なのに他の幹部に直截に物を言うという、組織で出世するのに不向きな性格のためか、ヒトラーから疎んじられた。のち、総統本人の「スペイン内戦に送る」という冗談を真に受けてアメリカに亡命。そのまま戦争が終わるまで帰ってこなかった。
 

アルミニウス

 古代ゲルマンの王。無能な将軍ではなかったが、対戦相手があのカエサル(シーザー)であったのが運の尽き。
 カエサル自身がゲルマニアに侵攻する意志がなかったこともあって、一命はとりとめたようだ。
 詳しくはカエサル自身が書いた『ガリア戦記』に詳しい。
国原吉之助訳『ガリア戦記』講談社学術文庫
 

ウルリヒ・グラーフ

 ヒトラーのボディガード。ミュンヘン一揆のさい、ヒトラーをかばって銃弾を受けた。いわゆる古参党員。
 政治的に野心のある人物ではなかったようで、その後はとくに名誉職以上の出世はせず、戦争を生き残った。
 

フォン・ショイブナ―・リヒター

 ナチス党の初期の幹部。ミュンヘン一揆の時、ヒトラーと肩を組んで歩く仲だった。
 一揆中に銃撃されて死亡。ヒトラーの著作『我が闘争』の第一部に、献辞が書かれた。
 

ホルガー・アプフェル

 1970年生まれ。ふくよかな顔をしたドイツ国家民主党(いわゆるネオナチ)の党首。
 日本語のwikiに個別記事が組まれないため、たぶん小物だろう。
 

ハンス・マルティン・シュライヤー

 ナチス親衛隊員。戦後はキリスト教民主同盟の党員として、財界の大物になる。
 元ナチスで財界の大物という立場が共産主義者の感性をかきたてたようで、1977年にドイツ赤軍によって誘拐、そのまま殺害されてしまった。
 

ユンゲ

 ゲルトラウト・ユンゲ。ヒトラーの秘書。彼の遺言状をタイピングしたことで有名。
 

ヘルムート・コール

 西ドイツの政治家。彼の在任中に、ベルリンの壁が崩壊した。
 

ハインリッヒ・ミュラー

 ゲシュタポの局長。あだ名が「スフィンクス」。上述のラインハルト・ハイドリヒの暗殺や、ヒトラー暗殺未遂の訴追に活躍。
 終戦時の生死が判然としないナチスの大物の一人。
 

へレーネ・マイヤー

 フェンシングのオリンピック選手。ユダヤ系。1928年のアムステルダムオリンピックで金を、1936年のベルリンオリンピックで銀メダルを獲得している。
 

エミール・モーリス

 ヒトラーの護衛かつ、数少ない友人の一人。ヒトラーの姪ゲリ・ラウバル(後述)と相思相愛の中になったことがヒトラーの逆鱗に触れ、一時期仲たがいしたことがある。
 ちなみにユダヤ系だが、これが二人の関係に悪影響を及ぼしたことはないようだ。
 

フリッツ・トート

 古参党員。アウトバーン建設の初代総監督を経験後、武器・弾薬大臣(いわゆる軍需大臣)に就任。戦時中に航空機事故で死亡。
 彼の後釜が、前述のアルベルト・シューペア。


フリードリヒ・タムス


 土木技術者。爆撃機を撃墜するための設備である高射砲塔の設計で有名。
 彼の作ったものはあまりにもでかくて頑丈なため解体できず、ウィーンとかには今でも残っている。あと百年ぐらいたって、世界遺産のネタがつきはじめたら、このタワーも登録されるかもしれない。
 なお、宮崎駿がミリオタぶりを存分に発揮した著作『雑想ノート』には、この高射砲塔が登場する。
 

レナーテ・キュナスト

 1955年生まれ。環境保護を謳う「緑の党」の党首。
 緑の党自体は、菜食日を設けようとしたり脱物質主義を掲げたりする、変と呼んで差し支えのない組織である。
 例のごとく、彼女も日本語版wikiで個別記事がない。
 

ヘス

 ルドルフ・ヘス。もともとはナチスの重要人物で、『我が闘争』の口述筆記を務めたこともある。
 戦争中、イギリスを講和を結ぶため単身で渡英。講和はならず、捕虜になり、そこでうつ病が悪化。最終的に自殺した。
 余談だが、やたら時代考証がいきとどいた劇場アニメ「鋼の錬金術師 シャンバラを征くもの」に、このヘスも登場する。主な仕事は小栗旬を射殺することである。
 

フクスル

 第一次大戦で従軍したヒトラーが、戦場で飼っていたテリア犬。その後盗まれたとも、砲弾に当たって死亡したとも言われている。
 

シュタウフェンベルク

「ヒトラー暗殺計画」でその名が知られた人物。
 暗殺計画の、企画立案実行までほぼ一人でこなしたため失敗。戦時下の即決裁判で銃殺された。(なお、銃殺命令を下した人物も連座がばれて処刑されている)。
 ヒトラー暗殺計画については、以下の書物が参考になる。
 小林正文『ヒトラー暗殺計画』中公新書
 

エリザベータ女帝

 ロシア帝国の女帝。プロイセンと交戦。あまり国政に興味がなかったためか、自軍が戦闘で大勝したにもかかわらず、政治的にプロイセンの弱体化をはかることができなかった。
 プロイセンとの戦争中に病死。
 

ゲリ・ラウバル

 ヒトラーの姪。一時期ヒトラーと同棲。粗野⇔真面目と、人によって評価が代わる人物(ただし粗野が多い模様)。
 1931年、呼び出しておきながら幹部会に向かおうとするヒトラーと口論になり、その日の夜に自殺。例によっていろいろ憶測があるが、個人的にはそううつ的な気質(ヒトラーも持っていた)が悪い方向に働いた結果だと思う。
 彼女の死後「死体を食べるようなもの!」だとして、ヒトラーは肉食を拒否するようになった。
 

ヴェンク

 ヴォルター・ヴェンク。第二次大戦で従軍した将軍の中で最年少。あだ名は「少年将軍」。ただし少将に昇進したときすでに43歳であったが。
 ベルリン防衛線で、多くの市民を逃がすことに功績があった。

ラロッシュ

 前後の文脈から、フランスの政治家ラロック大佐だと思われる。
 元軍人。第一次世界大戦に従軍後、政治結社「火の十字団」を結成。彼自身はファシストではなかったが、その政治手法がファシズムと似ていたため誤解され、彼の死後、遺族は辛い目にあった。
 彼については、次の書物が詳しい。
剣持久木『記憶の中のファシズム――「火の十字団」とフランス現代史』講談社選書メチエ
 

ジグマール・ガブリエル

 1959年生まれ。ドイツの政治家。副首相、外務大臣、環境相などを務める。
 

グッデンベルグ

 1971年生まれ。ドイツの政治家。経済・科学相や国防相を歴任。国防相時代に、徴兵制制度の見直しを行う。博士論文の盗作疑惑が出て、責任をとって辞任した。
 

ホメロス

 古代ギリシアの吟遊詩人。「トロイアの滅亡」や「オデュッセウス」の物語が現代に伝わっているのはこの人のおかげだが、実在を疑われている。
 日本語訳
『イーリアス』岩波文庫
『オデュッセイア』岩波文庫
 
※ ※ ※
 
記述ミス等は、すべて筆者の責任です。
 

 

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