2022年6月23日木曜日

緊急入院日記――潰瘍性大腸炎の悪化

自分の体調の悪さを痛感させたのは、一本の缶ビールだった。


●入院まで

6月のはじめ、富士山麓でちょっとしたイベントがあった。

4日間にわたるそれは、無事に終わって、帰り道、イベントのバディになった人と、駅のホームで軽く一杯やったのだ。

サッポロ黒ラベルの350ml。健康な時なら、酔いもしない量だ。

その帰り道の駅のトイレで、上と下からみんな出してしまった。吐いただけでなく、水分を吸収するはずの大腸がまったく機能せず、そのまま出てきてしまったのだ。

「あ、俺、体調悪いな」

と、文字通り痛感した。

「潰瘍性大腸炎」につきものの痛みは、発病してから2年間、これまでほとんど感じてこなかったのだが、この日から猛烈な痛みにさいなまれることになる。

結局、いきつけの病院に電話し、予約して、来院の運びとなる。



●入院

担当の先生ではなかったせいか、こちらの重症度があまり伝わらず、終始、のほほんとした感じであった。

ところが、試しに行なった血液検査で、CRP(C反応性蛋白。これが高いと体内で炎症反応が起こっている。基準値は0.30㎎)の値が16.1㎎と入院レベルの数値をたたき出したため、緊急入院となる。

そこからは大変で、検査のオンパレードであった。

お決まりの体温と脈はもちろんのこと、また意味不明に採血をし、コロナの検査とかで鼻に棒を突っ込まれ、造影剤を打たれた後MRI検査にかけられる。




俺は注射がシンプルに嫌いなのだが、その日だけで6本近く打たれ、アザとなってくっきり残ってしまった(今でも跡が残っている)。

夕方にようやくベッドに案内され、そこで安静にするよう命じられる。



●入院1~4日目


最初の4日間は、2時間に一回の割合でトイレとベッドを行き来するだけの生物に成り下がっていた。

「こらえ」がまったく利かないので、もよおしたらダッシュで行かなければならない。点滴につながれているため、最初はそれなりにまごついた。

他に苦労したのは空腹だった。腸をいたわって、食事をとることが禁じられたので、胃の調子もすこぶるよくない。無為に出た胃酸で胃が痛む。

夢に、からあげや塩サバずし、ハンバーグとごはん、王将のチャーハン、はま寿司、卵焼きが浮かんでは消えた。




その夢の大半は悪夢で、ゲームの「MOTHE」に出てきそうなきっかいなクリーチャが縦横無尽に乱舞していた。

かと思うと、巨大な壁となった自分を小さな自分がよじ登るという、アクロバティックな夢も見た。

まどろみ → もよおして起きる → またまどろんで悪夢 → トイレで起きる

の繰り返しであった。


また、もっともひどいイベントもあった。

内視鏡検査をするってことになったのだけど、腸をきれいにするために下剤を飲むよう命じられたのだ。

このポカリ味に偽装した下剤がすこぶる大腸を痛めつけ、鎮痛剤を飲んでなお眠れないほどだった。

ベッドの中で、昔流行った『病院で殺される』という本の題名をずっと思い浮かべていた。

検査の結果は、結局、MRI検査でわかっていたこと――すこぶる炎症が広がっている――の再確認の域を出なかったようだ。

実は麻酔で眠っていたので、リアルタイムで自分の腸内を確認したわけではないのだが。



うれしいイベントもあった。4日目の夜に、ようやく食事が出たのだ。

▲鳥の照り煮、白菜と人参の胡麻和え、かきたま汁、おかゆ、うずら豆、梅びしお


病院食の例にもれず、超薄味であったが、それでもうまかった。




●入院5~8日目

5日目には、保健所に「難病申請」をするため、外出することになった。この申請によって、医療費の個人負担額が減るのだ。

久方ぶりの外出で、最初こそ楽しかったが、すぐに体調が悪化した。

「潰瘍性大腸炎」は、腸の炎症によって、風邪をひいて熱を出したような状態がずっと続く。

駅から2キロにすぎない道が、なかなかつらかった。

しかも申請に必要な住民票をうっかり忘れたので、受理を拒否されてしまった。住民票の取得はもちろん、市役所に赴かなければならない。

市役所は、道を戻った駅前にある。なんだこの反復運動。

それでも昼過ぎには申請が終わり、夕方には病院へと帰還となる。

そこで、新薬の「レミケード」の投与が始まった。

これは、人間の免疫細胞であるマイクロファージ(腸壁を攻撃している原因でもある)をぶっ壊すという、なかなかぶっ飛んだ薬で、投薬による治療方法として最終手段に近い位置にある。

なんか、見過ごせない副作用が起こりうるらしく、俺の部屋のすぐ外の廊下にばっちりAEDその他が用意してあった。看護婦さんに「俺用ですか」と聞くと笑っていた。

それで、肝心の薬の効果だけど、

「効果はあるけど日常生活を営むには程遠いよね」

な感じだ。

確かに痛みが軽減され、トイレの回数も微減したが、不満は残る(この薬が投与一回につき5万円近い値段がすることも原因だ)。

ただし自分は、このレミケードを一回しか投与していないことをお伝えしておく。普通は、数週間にわたって複数回投与するのだ。



とにかく、入院から6,7,8日目は、入院直後より体調がよくなった。7日目には担当医師より腸の摘出手術についての話があり、治療がいよいよ最終段階に至りつつあることが確定した。




●食事

入院中は、食事が一番の問題であった。

「量が足りない」のである。



これ献立なんだけど、全部で400キロカロリーぐらいしかない。三食ともこれで、摂取カロリーは×3の1200ちょい。

30代の男の生命を維持するには、まったくもって足りないのだ。

しかも、出される「五分粥」というのは、かゆとは名ばかりの水溶き片栗粉みたいなもので、とても食べれたものではなかった(無理に食べたら戻すようなシロモノだった)。

だから夜に院内コンビニでカップヌードルを買って、病室で食べた。病気に良いものではないことは承知だったが、生きるために必要だった。

ところ、看護師に見つかり「医者の許可がない」とボッシュートされてしまった。まだ半分しか食べてなかったのに・・・

結局、毎食の前に卵焼きとか焼き鳥とかヨーグルトを買って、さも「ちゃんと配食された食事ですよ」的なふりをして、病院食と一緒に食べていた。

食事に関して言えば、病院は全くの無能と言ってさしつかえないだろう。




●9~12日目


とにかく、食事に気を使うくらいには元気が出てきた。

痛みと、出した時の出血は相変わらずだったが、「トイレの行き過ぎで寝不足」というギャグみたいな状態は、改善しつつあった。


10日目には、いったん自宅に戻った。

着替えと、娯楽を回収するのだ。

本三冊、ニンテンドースイッチ、日記(このご時世に俺はまだ紙で書いている)、プラモデル。

あと、ふりかけ、カルピス原液、ブラックサンダーなどの食料も回収した。カルピス、ブラックサンダーはし好品、ふりかけは、おかゆにかけて食うのだ。






11日目、12日目は、本を読んでゲームして日記かいてプラモ作る(においの関係から接着剤は使えないので、パーツの切り出しのみ)という、趣味に費やした。

ゲームは、トイレが近い関係上アクションゲームがやりにくいので、「遊戯王マスターデュエル」をやっていた。これはカードゲームになる。

そんなに強いデッキを使っていたわけではないのだが、7連勝を2回とかいう好記録を出した。自分の体調と反比例している。

12日目に、担当医師より、手術の日程を来月のはじめにしたこと、このまま入院を続けて手術に臨むか、いったん退院するかを問われる。

自分は退院を選んだ。

極度に悪化した「潰瘍性大腸炎」は、入院を続けて治るものではなかったからだ。




●13日目:ひとまずの退院

5時前には目が覚める。ぜんっぜん体を動かしていないせいで疲れがなく、ほとんど寝れない。

6時には、検温と脈をはかった。これは入院してから欠かさず毎日行われていた。

体温36.5℃ 脈は上は119、下は57。平常運転だ。



相変わらずの薄味の病院食を食べ、一日一本支給されるエンシュア(栄養補助食品っぽいもの)を飲む。コーヒー味を書いてあるが、どう味わっても脱脂粉乳の味しかしない。

帰り支度は、昨日の夜にだいたい整えていた。

9時半には病院を出た。病院から自宅は5キロほどの距離で、普段なら歩くのだが、体をいたわってバスを使う。

バスを乗り継いで、10時過ぎには、家についた。


こうして、人生初めての入院はひとまず区切りがついた。

手術がすぐに控えているので、またすぐの入院が決まっているのだが。



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