主人公は罪人である。それも、14歳にして死刑囚である。
注)
・このゲームは推奨年齢15才以上です
・リアルSAN値を削ってくる鬱ゲーです
・使われている画像は、すべてプレイ中のスクリーンショットとなります
つまり、それなりのネタバレ要素があります
今やかなり有名になったこのゲームの流れは、シンプルである。
注射を打ち
夢の中で冒険し
冒険した相手の死を追体験し――
これが、ゲーム内時間で6日続く。
主人公ラッセルは、無罪を得る条件として「HAPPY DREAM」の投与による「HD式更生プログラム」を受けることを余儀なくされている。
これは、夢の中で「人並みの幸せ」を見せることによって、罪悪感を抱かせ、更生をうながさせる薬物療法だ。
使われる薬物「HAPPY DREAM」は、もろもろの副作用が強く、死刑囚にしか試せないものとなっている。
なので、更生というより事実上の刑罰に近い。
罪悪感を抱かせる方法というのがまた、底意地が悪い。
夢の中で死者を見せるのだ。
そう。
冒険のメンバーはすでに死んでいる。
主人公ラッセルは、彼が現実で殺した人間たちと、夢の中で交流するのだ。
●感想
・プレイし始めの所見
「あ、これすごいゲームだな」と気づいたのが、最初のエンカウントであった。
普通、ゲームの最初の敵に「入園チケット」(画面左)なんてもってこない。大変勇敢な選択だ。
そして、これも含めた「バケモノ」に深刻な意味を持たせている、というのがまたニクイ。
・キャラ
パーティメンバーは、悲劇をより劇的なものにし、プレイヤーに精神的打撃を与えるべく造形されている。
つまり、魅力的で、好感が持て、殺されるのはふさわしくない、と思わせる人々である。
ほんと、このまま剣と盾を持たせてファンタジー世界を冒険させてもいいメンツなんだよな・・・
個人的なお気に入りは閑照先生だ。
すっごくおもしろいキャラ、というわけでもないのだが、おせち料理の栗きんとんみたいに、いてくれるとうれしい人である。
『END ROLL』をクリアしたその日の俺の夢に出てきたしな(なぜか和室でいっしょに仮面ライダーを見ていた)。
まあ、彼自身は、尊属殺人&犯人蔵匿(ぞうとく)罪に問われる人ではあるのだが・・・
サブキャラについても、言葉の一つ一つに個性が出ていて、しかもイベントが進むごとにセリフが変わる場合が多い。
キャラに話しかけるのが楽しみなRPGといえば、『MOTHE』シリーズを思い浮かべるが、それと似た系譜だ。
もっともこのゲームは、キャラに愛着がわけばわくほど、ゲームの終わりで心がえぐられる仕組みなのだが。
・攻略難易度
難易度は、謎解きも戦闘も平易といえる。
謎解きは、しっかり町の人に話しかけ、マップをくまなく歩けば、クリア自体はたやすい。
ただ、隠し要素のフラグ立てが少々複雑なので、各種攻略情報を見る必要がある。
戦闘もむずかしくない。
しっかり装備を整え、料理と漢方薬(どっちも回復アイテム)をそろえ、氷は炎に弱く炎も氷に弱い、のような二律背反の属性に気を配れば、全滅はないだろう。
(『MOTHE3』の究極キマイラのごとき初見殺しはのぞく。まあ、このゲームのやつは一応逃げる余地を与えてくれるが)
・BGM
例えるなら、こじゃれた小料理みたいな曲が多い。ほとんどが作者様の自作となっている。
一曲一曲が少し短いものの、物語にあっていると思う。
お気に入りは「混濁」。焼き殺した相手の母親との戦闘で流れる曲である。
あと、「不思議な町」(これは作者作曲の曲ではないようだが)もよい。
この曲を聞いたとき、「あ、イヤホンがいる作品か」とイヤホンを取り出したもよう。
●まとめ
リアルSAN値を削ってくる作品はいい作品、という持論を持っているのだが、これはまさしくそうである。
他のほぼすべてのレビューが言っているように、鬱ゲーである。
特に、自分が投影された世界を破壊していくというシチュエーションは、ある種の感受性を持つ人間には耐えがたいものだろう。
ラッセルに施された、身柄を拘束して無理やり更生させるやり方は、『時計じかけのオレンジ』の終盤を思い起こさせる。
また、犯した罪とどう向き合っていくかのテーマは、ロシア文学を連想される。
そういえばこのゲーム、フリーゲームではめずらしいことにロシア語訳がなされている。
なお、この主人公の罪状を上げてみると――
殺人が最低8人(うち2人が放火による殺人)、薬物の使用、補導歴多数。そして、ゲーム中で明かされていない余罪も複数だと思われる。
やるせない部分があるとするならば、ラッセルには、魅力的な人々を造形する力があったことだろう。
街の人々を見れば、おのずと明らかである。
そして、なまじこの能力があったがゆえに、彼は苦しみ抜くこととなった。
※ ※ ※
さて、7日目を迎えた主人公は、突如現れたダンジョンへと足を向ける。
そこは、自分が暮らした家を思わせるものがちりばめられた空間であり、家は彼にとっての最後の犯行現場でもある。
普通のRPGでは、父性的なもの(権力者、力を持つ者)がラスボスである。
『END ROLL』は、母親がラスボスとなっている。
これは比喩表現ではなく、本当に自分の母親がラスボスなのだ。
彼女を倒すことはすなわち、自らの生の否定である。
産みの母を最期の敵としなければならなかったのが、ラッセルの悲劇であった。
※ ※ ※
このゲームは、終わりの積み重ねから、物語が始まる。
主人公が殺しを実行した時点で、殺された人の物語はすでに終わっており、主人公自身も、最初の注射を打った時に、その人生は最終局面を迎えた。
まさにあとは「END ROLL」なわけである。
商業では容易に行えないシナリオと演出。
一つの上質な文学を読んだような読了感。
こういう作品があるから、フリゲーはやめられないのだ。
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