2017年4月18日火曜日

不思議な一人遊び

バスに乗り遅れた。17時40分のバスだった。

山からの帰りのバスは遅い。夕方には最終便が出る。普通日帰りの登山客は、次の日との兼ね合いで早めに帰りたがるからだ。

だから、麓まで歩いて帰ることにした。

距離的には15キロ〜20キロほどだろうか。山登りをするような人間にとって、ものすごい距離というわけではない。

空にはさえぎるもののない夕日が浮かんでいる。雪に埋もれた湖が朱に染まっている。アスファルトの道を歩き出した。

せっかくなので、スマホゲームのポケモンGOをすることにした。現実で歩いた距離が意味を持つゲームなので、いろいろはかどりそうだ。

さて、物語はここから始まる。



ちょうど超レアポケモンのトゲチックに手こずっていたときのことだ。

突然「電源を切る」と出てスマホがシャットダウンしてしまったのだ。

バッテリーは、つい数分前に確認したときは15パーセント。きれるような残量ではない。

仕方ないので、充電用バッテリーにつないでカバンにしまい、そのまま歩くことにした。

蛇行するアスファルトの道は山のはじや丘を幾度も迂回し、やがて山と山に挟まれた空間出た。

枯れ木の雪山がほぼ真横からあたる夕日に染まり、血の色としか思えない色が広がっていた。

その日の早朝、始発電車に乗るとき、自転車で事故を起こして救急搬送される男を見たのだが、その現場の地面を思いださせた。

すでに鳴かれたり鳴き返したりしてコミュニケーションをとっていたカラスもいない。黙々と歩くのを続ける。

そこで、ある遊びを思いついた。

「自分は自分に追いつけるか?」という空想遊びだ。

まず、自分の数十メートル先に、もう一人の自分が歩いていると想像する。その自分の肩を、後を追う自分がたたいたら自分の勝ち、たたけなかったらもう一人の自分が勝ちという、簡単なゲームだ。

まずは、目を細めて、もう一人の自分を想像した。

すぐに、紺色のウィンドブレイカーを着て、ダークグリーンのカーゴパンツをはいた自分が歩き出す。今着ている格好ではないが、自分がよくする服装だ。

相手との距離は、だいたい90メートル先に設定した。それ以上近づけると、相手の髪のつやとか服のシワとかを想像しなければならず、よほど集中しないと再現できないのだ。

思えば、小さいころは、もっと上手にできたものだ。自分で生み出した幻覚に本気で怖がれたのだ。ところがあるとき「がくっ」と下がって、今ではある程度の水準をキープするので精一杯だ。

さて、自分を作ったので、今度はルールを決めることにした。直感的に、すぐに決まった。

・走ってはいけない
・真横に行くまで、自分の顔を見てはいけない

お互い歩きながら、ゲームが始まる。追いつけたら私が勝ち、追いつけなくても私の勝ち。

自分の想像力を駆使した、シンプルなゲームだ。

数分ごとに空は灰色になり、だんだんあたりも色彩を欠いていく。歩行者は絶無で、ごくごくまれに自動車が通るだけだ。その道は歩道がなく、家もなく、自販機さえない。道が仮に直線なら、田舎の高速道路だと思うだろう。

U字のカーブのたびに、相手の顔をのぞきこんでしまわないよう、顔を背けなければならなかった。

なんとか距離を縮めたいと思うも、自分の想像力ではまだ果たせそうにない。辺りが暗くなれば、もう少しうまく想像できそうだ。道はまだまだ長い。しばらくは楽しめそうだ。

目の前に歩く自分を生み出すには、意識はするけど直視はしないことが重要だ。目の端にとどめておくだけなら、先行する自分の詳しいディテールを考える必要がないからだ。

やがて空は暗くなり、あたりは黒くなった。

そうすると、距離を縮めることができた。

だいたい80メートルほどだろうか。明るさがないことによって集中力が増し、前の自分の細部をはっきりさせることができた。

服は風ではためき、一歩一歩上げる足が見える。さすがに靴の裏とかは無理だが、徐々に目の前の自分が実体を持ってきているのを覚える。

彼は携帯をいじっている。指の動きから察するに、ポケモンGOだろう。おかしかったが、少し失望もした。画面の灯りが灯っていないのだ。自分の想像力もまだまだだ。

再想像すると、灯りがついた。暗い中にくっきりと光が見える。

しばらくすると、森の上から月が顔を覗かせた。

気分が高揚してきた。

体の調子はいい。昼間の山登りで少し足を痛めていたけど、気にならない。

森の中の道を一人で歩く。たまに甲高い奇妙な鳴き声や、木々の梢に丸い塊が浮かんでいるのが見える。

臆病の多くは知識の不足から出てくるものだ。例えば甲高い声にしても、宙に浮くまん丸の影にしても、知らない人からしたら驚き、不安になるものだろう。
ただ、あれはヨタカの鳴き声だとか、ヤドリギがまん丸に立派に芽吹いているとか知っていれば、恐怖はまったくいだかない。

闇が深まるにつれて相手のディテールがますますはっきりとし、距離をつめる。60メートルほどだろうか。後ろから車が通り過ぎたとき、ライトに照らされた目の前の自分があまりにもリアルで、一瞬ビクッとなった。

その自分は、杉の林の間を通る道の、もっとも黒い部分にさしかかったとき、なぜか白いタンクトップ姿に変化した。「集中力が途切れているのか?」と集中しなおすと、集中するたびに服を変える。

そんな、変化、再想像を繰り返していると、やがて相手は、なんとも言えない形になり、3メートルほどの大きさの影の塊になった。

でかく、手足が長い。『ムジュラの仮面』に出てくるラスボスの最終形態みたいなだと思った。

そいつが背中を向けたまま、こちらに歩いて近づいてくる。一瞬目を疑ったものの、迷わずベルトのナイフに手をかけた。登山の時はいつも持ってきているものだ。

右のベルトに通してあるはずのナイフが、なくなっていた。思わず立ち止まった。

相手は、人間の姿に戻っていた。そして、服をまくって、なくしたナイフが入っているケースを見せつけた。

それから相手はまた、変わらず前へと歩き続けた。こちらは立ち止まったまま距離をとり、一〇〇メートルほど離れたところで、また歩き出した。

そこからは、点みたいな相手を見ながら進んだ。もう追いつく気はなくなっていたし、肩をたたこうなど考えもしなかった。

ただ相手は、いくら集中力を切らしても、消えなかった。

二時間ほど歩くと、ようやく街の明かりが遠くに見えてきた。

明らかにラブホテルとわかる建物の前に来たとき、とうとう観念してタクシーを呼ぶことにした。

携帯の電源を入れなおし、地図で調べ、現在地から一番近い配送センターに連絡する。ホテルの名前を言い、すぐに迎えに来てくれと注文する。

「あなたがいるところがわからない」と、言われた。

仕方なく、「もっと目印になりやすい建物の前にきたら改めて連絡する」と言い、また歩く。相手は遠くの街の明かりのせいか、いつのまにか消えている。

古い喫茶店のような建物の前まで来る。幸い、そこには住所が書かれていた。再び連絡し、その住所を言った。

「今は存在していない町名ですね」と配送会社のおっちゃんは言った。

とにかく街明かりは見えている。弱った蛾のように歩き続ける。気にならなかった足の痛みが苦になりだした。

目の前に、誰もいないコンビニが見えた。

見たことない店名で、たぶん地域密着型のコンビニだろう。コンビニなのに、22時で閉まると書いてあった。

中に入ると、レジの奥から店員の青年が出てきた。

「店の前にタクシーを呼んでいいですか?」一言の挨拶の後に、そう言った。

30分後に、タクシーが来た。

タクシーのおっちゃんは、到着に時間がかかったことを侘び、「ずいぶん(山に近い)上から呼ぶからさあ」と理由を言った。その山の上からてくてく歩いて来たと言うと、

「よく無事に戻ってきたねえ」と仕切りに感心していた。

20分かけて、無事に駅に着いた。もう電車がなかったので、その日はホテルに泊まった。

念のためリュックを確認したが、やはりナイフはなかった。高校の時から愛用しているもので、その時持っていた持ち物の中で一番大事なものだった。

しかし腑に落ちない。ナイフケースは、自衛隊駐屯地の売店で買ったもので、そう簡単にベルトから落ちるようなものではないのだが。

今回の話ここまでだ。特に落ちはないが、不思議な話というのはそういうものだと思う。

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