2018年7月31日火曜日

日帰りで行く平泉




転勤になって、日帰りで行ける位置に平泉があるようになった。

なので、今回は平泉にちょっくら行ってきましたよって話。


ご存知のように、平泉といえば世界遺産である。正確にいうのなら、岩手県の平泉町という町に、5つの世界遺産と複数の史跡がある。

今日は日帰りで、世界遺産を集中して回ることにした。ルートとしてはこうだ。


毛越寺→中尊寺→中尊寺金色堂→金鶏山




●毛越寺(もうつうじ)
 


朝8時。毛越寺駐車場に到着する。土曜だが朝早いのですいている。毛越寺の参観時間が8時半からなのだ。
 
この駐車場、毛越寺のすぐ隣にあるのだが、なんでもかつては牛車が止まっていたらしい。それだけ古い寺ってことだな。
 
で、正門。
 

 

本堂までの道のり。




本堂。
 
 

藤原基衡によって再興された。
 

池。
 



この池は、平安時代の浄土式庭園様式を伝えるものだそうだが、今ではその面影しか残っていない。


 建物跡

このお寺は、あまり建物が残っていない。

造営し保護した奥州藤原氏が滅んだあと、火災や戦火で焼失したのだ。

昭和になって本格的な発掘調査が行われ、平成になって本殿が修復された。

見どころこそ少ないが、境内は整備されていて、散策にはいい。



 
ポケストップもたくさんあるし。
 

 
なお、ディグダの巣になっている模様。欲しい人は捕まえよう。



さて、毛越寺から中尊寺まで、バスも出ているが、歩いていくことも可能だ。

県道300号を歩くのが近いが、どうせならウォーキングトレイルコースを歩いてもいいだろう。
 
県道コースだと30分、森の中の道路を進むトレイルコースだと60分の道のりだ。



 
トレイルコースには、こんな風に休憩できる東屋もある。

ただ、トレイルコースだと、表参道ではなく本堂近くに直接出るコースになるので注意。



●中尊寺



さすがに教科書にものっている有名どころだけあって、人がたくさんいる。
 


境内はどことなく造営の参考にした京都の寺社に似ているが、少し雰囲気が異なる。
 
建築様式(というより建築年代)が若干異なるせいかもしれないし、藤原氏の「浄土思想」が色濃く出ているのかもしれない。植生の違いも無関係ではないだろう(近畿と東北では、微妙に生えている植物が違う)。


 
さて、中尊寺といえば金色堂である。「中尊寺金色堂」という表現があるくらいに、金色堂である。

 
さあ、入るぞ・・・

といっても、この中は撮影禁止だ。拝観料800円を払わなければ見られない、ありがたい「国宝」なのだ。
 
しかし、感想を書くだけではいまいち伝わらないだろう。

なので、この内部で流れる音声ガイドをメモってきたので、これで気分を出してほしい。社会科の教科書の写真片手に、レッツエンジョイ!
 
※ ※ ※


みなさま、中央にお集まりください。

金色堂は、1124年、この地方を治められた、藤原清衡(きよひら)公によって建てられました。

 
まず、建物全体をご覧ください。
 
お堂の大きさは、およそ、5.5メートル四方。屋根には、木の瓦が用いられ、壁や床、軒先に至るまで、金色に輝いています。
 
お堂の内部をご覧ください。
 
中心には、本尊の阿弥陀如来。向かって右に、観音菩薩。左に、勢至(せいし)菩薩。本尊の傍らに、6体の、地蔵菩薩。最前列には、自北(じほく)天、増長(ぞうちょう)天と、独自の仏像構成となっています。
 
四本の丸い柱には、48体の菩薩の姿が描かれ、諸仏が安置されている段には、金色の孔雀が打ちだされています。
 
この大仁部分には、金銀を用いた蒔絵。はるか南方の夜光貝を用いた、螺鈿(らせん)細工など、当時の優れた工芸技術によって、極楽の草花があらわされています。
 
平安時代末期には、浄土信仰が盛んとなり、阿弥陀堂が数多く建てられましたが、うるしを塗った上を、金箔で飾った例は他になく、極楽浄土を具体的に表現しようとした、清衡公の切実な願いが汲み取られます。
 
中央の段には、清衡公のご遺体が納められ、向かって左の段には、二代基衡(もとひら)公、右の段には、源義経を平泉で向かい入れた、三代、秀衡(ひでひら)公と、四代、泰衡(やすひら)公が納められています。
 
のちに、この金色堂を訪れた松尾芭蕉は、『奥の細道』の中で、
 
さみだれの ふりのこしてや ひかりどう
 
と詠んでいます。
 
鎌倉時代に、覆堂(おおいどう)が建てられ、風雪をしのいできた金色堂ですが、昭和37年から6年間、保存解体修理がなされ、新たに、現代の覆堂が建てられました。
 
平安仏教美術を代表する、国宝建造物第一号の、金色堂です。
 
どうぞ、ごゆっくり、お参りください。
 
※ ※ ※

さっきの毛越寺(もうつうじ)もそうだが、平泉の世界遺産はすべて、12世紀に作られた
 
奥州藤原氏の政権が百年ぐらいしか続かなかったから、その時期に集中して作られたのだ。



 
「松島や×3」の人。有名な「夏草や 兵どもが 夢のあと」の俳句は、ここ平泉で読まれた。

中尊寺は一時間ちょっとあれば、だいたいの建物を見ることができる。
 
 
 
予定では毛越寺に戻るのだが、ちょっと寄れるところがある。


金鶏山(きんけいさん)、だ。藤原氏代々の経塚で、ここも世界遺産に登録されている。

といっても、90メートルほどの丘なのだが。


登山口には、源義経夫妻のお墓がある。意外なところにあるものだ。


山頂には、小さな祠があるだけだ。とくに景色もよくないので、別によらなくてもいいかもしれない。


 
戻る道中で、観自在(かんじざい)王院跡も見ておく。毛越寺のすぐ隣にある。

一応世界遺産だが、これも建物が時の流れで壊滅して、いまでは池となった庭園跡が残るばかりだ。
 
今日は寄らなかったが、もう一つある世界遺産「無料光院跡」も、庭園跡の池が残っているだけだ。



今回、平泉に来て思ったのだが、史跡が意外に残っていない。これは、見るべきものが少ないことを意味する。

歴史的には重要な地点なのだが、京都や奈良と違いみやことしての機能が短期間で消滅したこと、その後の戦乱で焼失したことなどが原因だ。



もしこの地を楽しもうと思うのならば、池から古の庭園を想像する想像力とか、中世の戦乱の世に思いをはせる歴史の知識が必要だろう。



で、最後は温泉だ。


地元民も利用する銭湯で、料金もリーズナブルだ。
 
大風呂が一つに、水風呂が一つ、無料で利用できるサウナもある。



最後に今回かかった料金のまとめ。

・高速道路代(北上江釣子IC~平泉IC片道分)1040円
・駐車場代   300円
・毛越寺拝観料 500円
・金色堂拝観料 800円
・銭湯代    500円+100円(バスタオル代)
 
 計3140円
 

平泉は東北のほぼ中央、交通の要衝にあるので、東北観光のついでに寄ってみてもいいかもしれない。
 

 中尊寺のご本尊
 
 ―――

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