昔、飛行機は太平洋を越えることができなかった。
今でこそボーイングが一日何便も飛んでいるが、日本からアメリカに向かうには、かつては船一択だった。
そんな中、初めて太平洋を越えた飛行機が、今回紹介するミス・ビードル号だ。
1931年、青森県三沢村の淋代海岸から、ミス・ビードル号は離陸した。乗組員はパングボーンとハーンドン。
飛行機をわざわざ日本の田舎にまで運んだのは、偏西風の関係でここからの離陸が一番都合がよかったからだ。
それでも、燃料を約3600リットルも積んでいた。当時の飛行機でこれだけの量をつむのは、大変なことだった。
このエンジンの馬力が450馬力しかないと言ったら、大変さが伝わるだろうか? 450馬力と言ったら、ちょっと大きな観光バスと同じ程度しかない。大阪から仙台に行くバスに太平洋を越えろと言ったら、大変でしょ?
飛行機についても説明しておこう。
ミス・ビートルは愛称で、本来の名前はべランカ・スカイロケットという。
設計者のべランカさんは手堅い設計の飛行機をいくつか作った人で、彼の飛行機は郵便飛行機とかに使われた。つまり、信頼性が高かったのだ。
ミス・ビードルはこのスカイロケットを魔改造を施したもので、大量の燃料を積むために胴体の真下に子持ちシシャモみたいな張り出しを設け、機体を軽くするため離陸後車輪を放棄するといった狂気に見える創意工夫を凝らした。着陸? もちろん胴体着陸ですよ。
▲海に捨てられる運命の脚
そのかいあって、ミス・ビートルは7848キロを無事横断、41時間10分ののちワシントン州のウェナッチに着陸したのだった。
現在、三沢市の航空科学館には、ミス・ビードル号の実寸大レプリカが展示してある。
展示ブースに入場してすぐのところにあって、最初にしてメインだな。
みやげもの屋には、小さな模型も売っている。
サイズは1/144。模型メーカーのプラッツ製だ。
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