5年前、東京の「味の素サッカースタジアム」でアルバイトをしていた時のことだ。
同じグループ(三人一組とかで休憩をローテーションしていた)に栃木からきた女子がいて、地元の話になった。栃木は、東京と比べたらどうしても田舎だから、自虐ネタっぽいのに走る。俺は「栃木ってそんなに観光地がないのか?」と聞いた。
「日光があるかな」
そうだ、日光に行こう、とその時思った。
というわけで、やってまいりました栃木県日光市。
栃木県の数少ない観光地である日光は、東京から電車で2時間ぐらいのところにある。鉄オタ的には、東武とJRの客とりバトルで有名な場所らしいけど、まあ、パンピーにはあまり関係ないな。ちなみに東武鉄道を利用したけど、単に自宅から都合がよかったからだ。
それで、駅のちょうど脇に「あ、これ、参道を広げてアスファルト敷きにした道だな」って雰囲気の道路があるから、それを北東方向に進んでいく。道中にはカフェや食事処が点在している。みやげ物屋が見えてきたら、その隣に銅像がたたずんでいる。
天海は、徳川家康の側近だ。「実は明智光秀」説がある彼は、この地に家康を奉る社を建てた人であり、ようは日光勃興の祖とも言える。
銅像から道を挟んだ反対側に「神橋」があり、ここが最初の観光スポットになる。よし、さっそく渡るぜ。
あ、お金とるんすか・・・
橋自体はまあ、「風情のある橋」って感じだ。弁慶が刀狩りをしてそう。
長さは28メートル。幅7.4メートル、高さ10.5メートル(パンフより)。往年の参拝者がここを通ったかと思うと、ちょっと感慨深い。
もっとも、車道が横切ってるのでかつてのように橋を渡りきることはできないのだけど・・・
で、参拝と言うからには、これから行く場所は寺社仏閣ということになる。
今回のルートは、こんな感じ
輪王寺 → 五重塔 → 東照宮(陽明門、本殿、家康の墓) → 二荒山神社 → 大猷院廟(徳川家光の墓所)
■輪王寺(拝観料¥900)
輪王寺の起源は766年に創建したお寺が起源となっている。東照宮より倍近い歴史を持つ。豊臣秀吉の不興を買って寺社領を没収、没落していたけど、天海が再興した。天海自身もこの寺に奉られているな。
あとで行く大猷院も、このお寺の敷地にある。
▲本堂である三仏堂
感想としては、立派な寺だなあ、って感じ。本堂は日光最大の建物だったりする。仏教建築とかにくわしかったら、もう少し楽しめるかもしれない。あ、祀ってるのは千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音。
■五重塔(拝観料¥300)
高さは36メートル。原色で塗られた鮮やかな塔だ。一番下の軒下に十二支の彫刻が並んでいる。彫刻は撮影OK、中の本尊は撮影不可だ。
▲立面図
▲向かいの柱が重なって映っているせいでそうは見えないが、浮いている。
建築学的な特徴としては、建物の中心をつらぬく心柱が、礎石から浮いている点だ。この工法だと、例えば地震とかで、建物の自重によって心柱が屋根を突き抜けるなんてことを防げる。
この仕組みは東京スカイツリーの免震システムにも応用して採用されたと、記念にもらったクリアファイルに書いてあった。
■東照宮(拝観料¥1300)
現在の東照宮は、天海が作った社を徳川家光が大改修したものだ。この改修で、「東照宮」って画像検索したら真っ先に出てくる陽明門や、「見ざる聞かざる言わざる」が造られた。
見ざる言わざる聞かざるがある建屋。厩として現役で使われている。
表門(陽明門ではない)を抜けてすぐ左の建物に、三猿がいる。幼いときは悪事を「見ざる聞かざる言わざる」ってことを象徴しているらしい。ちょっと前の修理(2013年~2018年)で塗り直したため、他の屋外の彫刻に比べてきれいだ。
▲祭り用の祭具や衣装が保管されている倉庫。正倉院と同じ校倉造りだそう。
▲用途不明の建物
▲水屋
▲輪蔵。お経を収めるところ
▲陽明門をやや離れて撮影
▲銅鳥居
それでお猿さんたちから、境内の参道をはさんでむかいに、陽明門がある。
東照宮を代表する建物で、陽明門にしか見えない色形をしている。建物は黒漆で塗り、目立つ部分には金箔をほどこし、彫刻は彩色で彩っている。
近くに行くと鳥やら竜やら聖人君子やらの彫刻や彫像がたくさんで、見ていて飽きない。似た彫刻でも、微妙に違うのだ。
▲陽明門の天井に描かれた竜の絵。指の数が二本しかない
▲他とは模様の向きが違う柱
あえて柱の一つの模様をさかさまにすることで、建物が未完成であることを示し、「完成してないから末永く続くよね」って発想の「逆柱」がある。
▲唐門
陽明門を抜けると、本社へと続く唐門が見える。順路では、本社を迂回してまず奥にある家康のお墓へと向かう。
▲眠猫
道中の坂下門には、有名な眠猫の彫刻がある。彫刻のモチーフの多くが伝説上のクリーチャー(もしくは実像とかけ離れた虎や象)なのに、ここはごく普通の生き物だったりする。
そのためか考察の対象になっていて、いわく、門の裏側にある雀の彫刻と共に「猫が雀を襲わない、平和な世の中」を表しているとされている。
なお、本物の猫は食が満ち足りていても(つまり平和でも)、娯楽感覚でスズメやネズミを襲うぞ。
▲奥社(家康の墓)拝殿
さて、家康の墓である。この東照宮はそもそも、家康を奉るために建てられたものだ。
▲裏からも撮影
陽明門があれだけ豪勢だったのに、墓はごくシンプルだ。色は華美ではなく、素材も銅だ。質実剛健という、武士階級の伝統的な価値観を表していると言える。直接墓参りはできず、後ろをぐるっとまわって見学する。
▲奥社拝殿脇にある、俺の嫌いなタイプの自販機。選択の余地がない上に割高とは救い難い
それで、次は本社(説明図では本社って書かれているけど、たぶん拝殿に当たる建物)に向かう。
東照宮がでかく感じるのは、本来は別々に建てられる拝殿と本殿をつなげているからだ。こういう建物を、「権現造り」と呼ぶ。
拝殿内は撮影禁止だ。
言葉で説明すると、畳敷きで、正方形にくぎられた天井にはそれぞれ龍の絵が描かれていて、向かって右に狩野探幽の麒麟の絵がかけられている。拝殿の一番奥は下り階段になっていて、そこが一般見学者が行ける限界だ。帰りは500円で香木の白檀入りのお守りが買える。
陽明門に戻ってくると、次は鳴龍の見学になる。例によってここも撮影禁止だ。
鳴龍のある本地堂は、ようは薬師堂のことで、内部は干支に対応した十二の仏像がある。
龍は天井にでかでかと描かれている。水墨画に出てくるシェンロンっぽいのを思い浮かべてくれればOK。
それで、その頭の下で柏木を打つと、「びりびり」と明らかに違う音が残響する。
正体は、短音が床と天井(中央部が少し湾曲しているのが良い)で往復反射することによっておこる物理現象だ。英語だとflutter echoと呼ぶ。
鳴龍の起源も、順序的に逆で、すなわち、
「音がするぞ」→「じゃあ、その音がするちょうどいい場所に頭がある龍の絵を描こう」
の流れみたいだ(一応言っておくと、現象発見前にも龍の絵は描かれてあった)。
なお、我々一般参加者が手を叩いて「鳴く」姿を拝むことは禁止されている。
■二荒山神社(拝観料¥300)
もともと日光は、山岳信仰がさかんな地域だった。この神社は背後の三つの山を神として奉っている。うち一つの男体山は、登山家にも人気だな。
▲このしめ縄を、歩いて8の字の形を描きつつくぐると、ご利益があるそうだ。
本殿には入れないものの、その横の化灯籠、二荒霊泉が見学可能となっている。
▲化灯籠
▲縁に刀傷らしきものがある
なんでも、警備の武士が夜に怪しく光るそれを化け物と考えて切りつけたらしい。
俺としては、70か所も傷があることから、夜の肝試し代わりに切りつけた(行ってきた証拠として刀傷が残る)説を思いついたけど、むろん妄想の域を出ない。
で、神泉。現在でも、杜氏が少しもらい受けて酒造りの際に仕込むそうだ。そのためか、泉にお賽銭を投げることを厳重に禁じられている。金気臭くなっちゃうもんな。
なお、これらの奥には「恋人の聖地」の看板があった。商業主義的な俗物の風習が伝統ある社にまで忍び込んでいるのを見ると何とも言えない気分になる。
奉られているのは仲良く並んだ杉の木で、樹齢は400年だそうだが、ここまで行くと恋人と言うより夫婦である。
■大猷院廟(拝観料¥550)
だが、そこがいいとも言える。その造形や彫刻は十分鑑賞に耐えられるし、見物客が少ないことも相まって、むしろじっくり見れる。
実は、家光の没後370年とかで、御尊像が公開されている。まあ、普通の木彫りの像なんだけど。
本体の撮影は禁止だったけど、このポスターまんまの像が、安置されていたぞ。
なお、これら輪王寺、東照宮、二荒山神社の2社1寺で、世界文化遺産に登録されている。
■感想
思った以上に楽しめた。
内部は静かでありながら豪勢だ。あいにくの雨模様だったが、むしろそれが景観とマッチしており、「雨の日に来てよかった」と思える数少ない場所だろう。
宗教史や建築史に興味のない人でも、凝った建物と背後のスギや広葉樹の風景によって楽しめると思う。
本当は少し離れたところにある華厳の滝にも行く予定だったのだけど、時間が足らなく行けなかった。ずっと集中して見学したため、飲み食いもいっさいしなかったぐらいだ。
▲目の前の広場が学童の集合場所になっている五重塔
▲お昼時だが、参拝客が並ぶ東照宮(陽明門に背を向けて撮影)
他の客を避けて、雨模様の平日かつ紅葉シーズンも外した時期に訪れたのだけど、それなりに人はいた(遠足のよい子たちとか)。
実は修復中の建物が結構あった。
それらが一段落したら、もう一度行きましょうかね。
0 件のコメント:
コメントを投稿