2020年9月18日金曜日

雑記:落ちのない話 その6

 


●近づいてくる気配、遠ざかる声


本州最東端へ、日の出を見に行った時のことだ。


当時住んでいた場所から、車で一時間ほど海沿いの山道を進む。動画サイトで「酷道」と評される道を、車の灯りだけを頼りに進んでいく。


道中、道路を渡り切ったタヌキがこちらを振りむいて、なにごとかとにらんでいた。


小さなキャンプ場にある、小さな駐車場に車を止める。

ここからは山道を一時間ほど歩く。


靴ひもを結びなおし、栄養ドリンクを飲んだ。時計を確認すると、3時をまわったころだ。


日の出は、4時33分の予定である。車から降りる。


頭上を見上げると、ザラメと薄力粉をまぶしたような星々が広がっていた。


星の光がいくつも重なり、とても小さな漁港を浮かび上がらせていた。


そのわきから、山道へと入る。


急な上り坂が少し続いた後、平坦な道になる。


真っ暗なのに、ヒグラシがあらゆる場所で鳴いていた。


カナカナカナの鳴き声が重なり、カカカカカカカカカカカカカナナナナナナ・・・と響く。


不意に、手に持つマグライトが、道の真ん中にあるかたまりを照らす。


「石か」


ひざ丈ぐらいの落石が、道の中央に転がっている。


避けて進む。

木々の間から海がちらりと見えた。


地平線の先が、黒から紺色に、かすかに変わってきている。


「急ぐか」


間に合わないかもしれない。そう思い、急ぎ足になる。


暗さは変わらずなのに、セミの声はピタリとやんでいた。鳴いていたのも変だったが、なぜ鳴きやんだかもわからない。


突然、山の方から、けたたましい声が響いた。


あえて言うなら「ぎゃあんぎゃあんぎゃあん」というわめき声で、敵意と拒否がないまぜになっていた。


気配は近づいてくるのに、声は遠ざかる、頭がくらくらするような声だった。


立ち止まり山側を照らす。軍用のマグライトの灯りが、斜面を走る。


それらしいモノはなにもない。


その時はニホンザルだと思い、進む。この付近でサルの目撃情報は聞いたことがなかったが、いないわけではあるまい。そう考えた。


間もなく道も見えるほど明るくなり、無事に、本州最東端についた。




上る日の出をしばらく眺めた後、帰路につく。元来た道だ。


声を聞いた場所に寄る。


なにもない。


ただ、ひょろひょろした樹がつかまるように生えている斜面が、あるばかりだった。




不思議なことが、二つある。


一つは、道中はずっとアクションカメラを回していたのだが、あの大声がまったく録音されていなかったこと。


そしてもう一つは、ニホンザルは岩手県にはほとんど生息しておらず、本州最東端がある地域にも分布していないことだ。





●星座早見表


小学生のころ、近くのスーパーに星空を見に行った。でっかい駐車場があったのだ。


中学での課題で、手には星座表を持っていた。


当時住んでいたのは大阪で、星は期待できなかった。


なぜ見えないものを探させるかのツッコミをいれつつ、空を見上げに行く。


今となっては、熱かったのか寒かったのかも覚えていない。


田舎特有のだだっ広い駐車場の、真ん中に立つ。


晴れてはいたが、くすんだ大気と街の灯りが、星をかき消していた。


唯一わかるのが、北斗七星と一番星だけだった。


結局、10分もたたずに早々立ち去った。


その次の理科の授業でも、星に関して大した話はなされず、別の内容へと話は変わっていった。


星座早見表は、家の机の引き出しの一番奥にしまわれ、二度と使われることはなかった。


ある日、思い至る。


あれは、一種の公共事業だったのだろう。


星座早見表を生徒に買わせ、教材屋を儲けさせるための仕組み。


道路や橋の建設と違って不動産が増えず、ただゴミだけが残る事業。


星座早見表はまもなく捨てられる。


駐車場もパチンコ屋になり、早々に立ち去る存在ですらなくなった。




●パチンコ


人生で一度だけ、パチンコ屋に行ったことがある。


それは星を観察した駐車場をつぶしてできた店で、そのあたりでは、1、2を争う大きな建物だった。


スーパーや、知人の家に行くとき、必ずその前を通ったので、外からはよく見かけた。


そのパチンコに初めて行ったのは、叔父にあたる人に誘われてだった。


海外で働く叔父と会う機会は、ほとんどなかったが、一族の中では仲が良好な部類だった。


3000円の軍資金をもらい、玉が落ちるのをひたすら見守った。


台は「海物語」だった。


当時、非常にヒットしていた台で、一般のニュースにも取り上げられたほどだ。


手でにぎってぐりぐり動かす(いまだに正式名称は知らない)やつを試行錯誤して動かすものの、玉の軌道は変わらない。


画面中央のスロットのようなものは、あたりそうであたらない。


あっという間に3000円が消えてしまった。


叔父は、自分にパチンコの魅力を伝えたかったのだと思う。


もしかしたら、同好の士を求めていたのかもしれない。


しかし、私が決めたのは、パチンコはしないでおこう、という方針だった。


まもなく叔父と(というか、一族全体と)付き合いがなくなり、パチンコとも、無縁の生活を送っている。



●いとこ


いとことは、小さいころからの付き合いだった。


彼は外国に住んでいて、半年に一度、日本に来ていた。そのたびに必ず会い、ゲームをした。


「ストリートファイターⅡ」とか、「スマブラ」とかだ。


彼はゲームが好きだった。


だが、もっとも盛り上がったのは、銀玉鉄砲による撃ち合いだった。


ただバカみたいに、引き金を引き続ける。


家中がBB弾だらけになり、どこに足を下ろしてもBB弾を踏むまでになる。


親は決していい顔をしなかったけど、親戚の手前、ニコニコ笑っていた。


彼との遊びは楽しかった。


しかし彼は、日本と外国の間で、アイディンティティに揺れていたのだった。


それは、他の日本の親戚のことが、さして好きではないらしかった。


それに何より、母親に(こちらから見たら叔母)に、無理やり連れてこられていたのが気に入らなかった。


自分の一族は、悪い意味で女の権限が強く、男は自我の確立が難しい環境であった。


やがて彼はあまりこちらにたずねてこなくなる。


最後に会った時は、「家具のデザイナーになりたい」とか、いまいち判然としない夢を語るようになった。


やがて日本にも来なくなり、叔母が言うには、「一人で部屋にこもり、家族と食事をとることもしなくなった」と言っていた。




いとこが自殺をしたと知らされたのは、愛人を作って家を出ていた父親からだった。


すでに一族を遠ざけていた私は「このような一族と縁を切っていたのはよかった」と答えた。


※ ※ ※


おばは最後に会った時、「(いとこは)今は調子が悪い時期」とも言っていた。


私は、悪いのは時期ではなく環境だと見抜いていた。


こうゆう分析ができたのは、たぶん私だけであったろう。


もしかしたら彼の話を聞き、自殺を防ぐことが、できたかもしれない。


だが、人としてその能力を身に着ける前に、彼は日本に来なくなり、そして死んでしまった。


それは今でも、残念に思う。


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