●近づいてくる気配、遠ざかる声
本州最東端へ、日の出を見に行った時のことだ。
当時住んでいた場所から、車で一時間ほど海沿いの山道を進む。動画サイトで「酷道」と評される道を、車の灯りだけを頼りに進んでいく。
道中、道路を渡り切ったタヌキがこちらを振りむいて、なにごとかとにらんでいた。
小さなキャンプ場にある、小さな駐車場に車を止める。
ここからは山道を一時間ほど歩く。
靴ひもを結びなおし、栄養ドリンクを飲んだ。時計を確認すると、3時をまわったころだ。
日の出は、4時33分の予定である。車から降りる。
頭上を見上げると、ザラメと薄力粉をまぶしたような星々が広がっていた。
星の光がいくつも重なり、とても小さな漁港を浮かび上がらせていた。
そのわきから、山道へと入る。
急な上り坂が少し続いた後、平坦な道になる。
真っ暗なのに、ヒグラシがあらゆる場所で鳴いていた。
カナカナカナの鳴き声が重なり、カカカカカカカカカカカカカナナナナナナ・・・と響く。
不意に、手に持つマグライトが、道の真ん中にあるかたまりを照らす。
「石か」
ひざ丈ぐらいの落石が、道の中央に転がっている。
避けて進む。
木々の間から海がちらりと見えた。
地平線の先が、黒から紺色に、かすかに変わってきている。
「急ぐか」
間に合わないかもしれない。そう思い、急ぎ足になる。
暗さは変わらずなのに、セミの声はピタリとやんでいた。鳴いていたのも変だったが、なぜ鳴きやんだかもわからない。
突然、山の方から、けたたましい声が響いた。
あえて言うなら「ぎゃあんぎゃあんぎゃあん」というわめき声で、敵意と拒否がないまぜになっていた。
気配は近づいてくるのに、声は遠ざかる、頭がくらくらするような声だった。
立ち止まり山側を照らす。軍用のマグライトの灯りが、斜面を走る。
それらしいモノはなにもない。
その時はニホンザルだと思い、進む。この付近でサルの目撃情報は聞いたことがなかったが、いないわけではあるまい。そう考えた。
間もなく道も見えるほど明るくなり、無事に、本州最東端についた。
上る日の出をしばらく眺めた後、帰路につく。元来た道だ。
声を聞いた場所に寄る。
なにもない。
ただ、ひょろひょろした樹がつかまるように生えている斜面が、あるばかりだった。
不思議なことが、二つある。
一つは、道中はずっとアクションカメラを回していたのだが、あの大声がまったく録音されていなかったこと。
そしてもう一つは、ニホンザルは岩手県にはほとんど生息しておらず、本州最東端がある地域にも分布していないことだ。
●星座早見表
小学生のころ、近くのスーパーに星空を見に行った。でっかい駐車場があったのだ。
中学での課題で、手には星座表を持っていた。
当時住んでいたのは大阪で、星は期待できなかった。
なぜ見えないものを探させるかのツッコミをいれつつ、空を見上げに行く。
今となっては、熱かったのか寒かったのかも覚えていない。
田舎特有のだだっ広い駐車場の、真ん中に立つ。
晴れてはいたが、くすんだ大気と街の灯りが、星をかき消していた。
唯一わかるのが、北斗七星と一番星だけだった。
結局、10分もたたずに早々立ち去った。
その次の理科の授業でも、星に関して大した話はなされず、別の内容へと話は変わっていった。
星座早見表は、家の机の引き出しの一番奥にしまわれ、二度と使われることはなかった。
ある日、思い至る。
あれは、一種の公共事業だったのだろう。
星座早見表を生徒に買わせ、教材屋を儲けさせるための仕組み。
道路や橋の建設と違って不動産が増えず、ただゴミだけが残る事業。
星座早見表はまもなく捨てられる。
駐車場もパチンコ屋になり、早々に立ち去る存在ですらなくなった。
●パチンコ
人生で一度だけ、パチンコ屋に行ったことがある。
それは星を観察した駐車場をつぶしてできた店で、そのあたりでは、1、2を争う大きな建物だった。
スーパーや、知人の家に行くとき、必ずその前を通ったので、外からはよく見かけた。
そのパチンコに初めて行ったのは、叔父にあたる人に誘われてだった。
海外で働く叔父と会う機会は、ほとんどなかったが、一族の中では仲が良好な部類だった。
3000円の軍資金をもらい、玉が落ちるのをひたすら見守った。
台は「海物語」だった。
当時、非常にヒットしていた台で、一般のニュースにも取り上げられたほどだ。
手でにぎってぐりぐり動かす(いまだに正式名称は知らない)やつを試行錯誤して動かすものの、玉の軌道は変わらない。
画面中央のスロットのようなものは、あたりそうであたらない。
あっという間に3000円が消えてしまった。
叔父は、自分にパチンコの魅力を伝えたかったのだと思う。
もしかしたら、同好の士を求めていたのかもしれない。
しかし、私が決めたのは、パチンコはしないでおこう、という方針だった。
まもなく叔父と(というか、一族全体と)付き合いがなくなり、パチンコとも、無縁の生活を送っている。
●いとこ
いとことは、小さいころからの付き合いだった。
彼は外国に住んでいて、半年に一度、日本に来ていた。そのたびに必ず会い、ゲームをした。
「ストリートファイターⅡ」とか、「スマブラ」とかだ。
彼はゲームが好きだった。
だが、もっとも盛り上がったのは、銀玉鉄砲による撃ち合いだった。
ただバカみたいに、引き金を引き続ける。
家中がBB弾だらけになり、どこに足を下ろしてもBB弾を踏むまでになる。
親は決していい顔をしなかったけど、親戚の手前、ニコニコ笑っていた。
彼との遊びは楽しかった。
しかし彼は、日本と外国の間で、アイディンティティに揺れていたのだった。
それは、他の日本の親戚のことが、さして好きではないらしかった。
それに何より、母親に(こちらから見たら叔母)に、無理やり連れてこられていたのが気に入らなかった。
自分の一族は、悪い意味で女の権限が強く、男は自我の確立が難しい環境であった。
やがて彼はあまりこちらにたずねてこなくなる。
最後に会った時は、「家具のデザイナーになりたい」とか、いまいち判然としない夢を語るようになった。
やがて日本にも来なくなり、叔母が言うには、「一人で部屋にこもり、家族と食事をとることもしなくなった」と言っていた。
いとこが自殺をしたと知らされたのは、愛人を作って家を出ていた父親からだった。
すでに一族を遠ざけていた私は「このような一族と縁を切っていたのはよかった」と答えた。
※ ※ ※
おばは最後に会った時、「(いとこは)今は調子が悪い時期」とも言っていた。
私は、悪いのは時期ではなく環境だと見抜いていた。
こうゆう分析ができたのは、たぶん私だけであったろう。
もしかしたら彼の話を聞き、自殺を防ぐことが、できたかもしれない。
だが、人としてその能力を身に着ける前に、彼は日本に来なくなり、そして死んでしまった。
それは今でも、残念に思う。
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