2020年5月18日月曜日

物語を細部に宿した作品「デイグラシアの羅針盤」感想


半年前からコツコツやっていた作品がトゥルーエンドにまでたどり着いた。感想を少々。



【シナリオ】

深海遊覧船の中から脱出だから、まあ、良さげな選択肢を選んだら、悪いことにはならないだろう、と思ったのがプレイ一周目始めたすぐのころ。

実際は選択肢はなく、事実上のバッドエンド一直線の物語であった。

バカなと思って取り組む2周目。待望の選択肢は一つ切り。そして結果はバッドエンドのマイナーチェンジで、なんだか微妙な二人が罪悪感を抱きつつ生き残った。

まあ、だからこそ、3周目のトゥルーエンドはかなり良かったのだが。

3周目のシナリオは本当に、頭一つ分飛び抜けている。

深海、宇宙、遺伝科学、哲学、旧約聖書、はてはクトゥルフ神話。

サブカルの難しいのをこれでもか、と詰め込んで、納得が行く形でオチをつけている。

近未来の描写ってかなり難しく、その近未来での最新科学となると表現が苦痛のレベルになってくるはずだが、うまくやっている。ネタバレになるのでここでは書かないけど。

実はゲームの開発段階で、このシナリオを足すか否か話し合われたそうだが、足してくれて良かったと思う。


 

【音楽】

音楽は全部で24曲で、いずれも良いBGMだと思う。スタート画面で流れる「fact」がお気に入り。


【絵・グラフィック】

他のレビューとかだと、グラフィックが貧弱とか言われているけど、特に気になる点ではない。文章をがっつり読む作品だからだ。

ただ、所々に出てくる小道具は、簡単な一枚絵があっても良かったかもしれない。潜水服とか、シロナガスペンギンの着ぐるみとか、ディバイディングドライとか。

まあ、潜水服とか描くとなると、考証がまた面倒くさいことになるが…

グラフィックでもう一つ思うところがある。

セリフの横に、なんで顔グラをつけなかったのだろう? 今日び、フリゲーにもついている。

顔グラの代わりに色付きの影があるので、誰がしゃべっているのかは一目瞭然なのだが、ほんと、不思議である。

ただ、表情があえてわからないほうがいいという場面も確かに存在するので、これも良し悪しか。
 


【キャラ】
 

主要キャラは、主人公を除けば6人で、それぞれ奇人、変人、悪人、ヤンデレ、愚直、キシリトールタブレットと、個性が立っている。

女性の比率が非常に高く、このあたりはギャルゲーの影響を強く受けている。

ただ一番の萌えキャラは、キシリトールタブレットを常用する三十すぎの男の医者である。

とゆうか、彼だけがまともな人間である。キシリトールタブレットを無尽蔵に隠し持っているけど。

キャラとして、ちょっといただけないのが主人公である。

良くも悪くもギャルゲーの主人公で、無能ではないのだがちょっと頼りなさすぎる。

非常事態で女の子に密着してどぎまぎしたりとか、お前そんなことしてる場合ちゃうやろ?! って何度も思ったぞ。

特に最初の名前入力で戯れに自分の名前を入れたから、軽い拷問だったぞ。

深海に来た動機も、同情はするが共感はできない類のもので、その計画にはお粗末ささえ漂う。

あと、実は姉妹でした! って描写があるんだけど、絶望的に似ていないのがいただけない。

こういう系統の作品では、「実は兄弟、姉妹ては?」と思いを巡らせるのが割と好きで、その際どこか見た目が似てるところはないか? と探すのだが…

血縁発覚のさい、パソコンの考察用メモに、

「髪の色も瞳の色も違うじゃねーか」

と思わず書き込んだぞ。



【その他雑感】



1周目、2周目、3周目、どれが正史かって考察されてるけど、実は考察の余地は、あまりなかったりする。

1周目と2周目は、仮想現実シミュレータによる事件の追体験であることがカミングアウトされているので、正史ではない。

6人が確定で生存する3周目は、1周目と2周目、の終わりにある、「生存者2名」の記述と矛盾する。

じゃあ正史はどれなのって話だが、たぶん、劇中では描写されていない。

1周目に近い出来事が、主人公たちに実際にふりかかった悲劇であろう。

3周目はシミュレータによるものって描写がないから、3周目のトゥルーエンドが正史である可能性がなくはない。

ただ3周目は、個人的には、この事件をトゥルーエンドとして見たい第三者(つまり我々)の願望をかなえる形で現れたものだと、思っている。

3周目はたぶん、生き残った二人の意思は、介在していない。

まず、主人公が偽名を名乗る(プレイヤーが文字を入力する)場面で、なんと本名の「片桐」が名乗れる。2周目では入力できない文字にも関わらずだ。

単に入力を拒否するゲーム内設定を忘れた可能性もなくはないが、これは、意図的な演出だろう。

偽名の有無はトゥルーエンドには必用ないという事情が出ている、あるいはもっと踏み込んで考えて「これは正史ではない」のメッセージだと思う。

また、作中で出てくるメアリー・セレスト号のエピソードに絡めた、「フィクションとして扱われたからこそ人々の記憶に残っていく」という会話も、正史や仮想現実から外れた「創作」であることの暗喩だと取れる。



最後、BGMでこの説を補強したい。



青い海中が表示されるスタート画面のBGMの曲名は「fact」。意味は“事実”であり、これが実際の出来事だと伝えている。



この曲は、一周目が終わった二周目の開始時、青い海中が赤く染まっても流れる。
 



ところが、3周目をクリアし、表示が青空広がる海上(閉じ込められた主人公たちが渇望したもの)になると、もうこの曲が流れないのだ。



つまり、"事実"が、なくなったのだ。


※ ※ ※

とまあ、この「デイグラシアの羅針盤」は徹底的に、BGMという番外戦術も含めて駆使して、細部に物語を宿している。

もしも細部にこそ魂が宿るというのなら、この作品は無数の魂で形づくられている。

それこそ「生命」の集合体である、この事件のそもそもの原因と同じ存在であり、演出全てを一点に投じた作品と言える。


0 件のコメント:

コメントを投稿