2017年9月5日火曜日

今日の乗り物 第一回 「一式双発高等練習機 キ54」


①名前:一式双発高等練習機 キ54(甲型)
②現住所:青森県三沢航空科学博物館(修復のため、引越しの可能性あり?)
③出自:立川飛行機
④大きさ:科学館の特別展ブースの半分を占拠
⑤速度:装備によるが、巡航速度350キロぐらい
⑥乗り心地:乗ったことないので知らん
⑦備考:双発機のわりに小さい


 軍用機には、戦闘機、爆撃機、輸送機とかの他に、それらを操縦できるようにするための「練習機」というものがある。自動車で言うところの教習車だな。
 
 戦闘をするわけじゃないから、それらの飛行機よりたくさん製造されるわけじゃないし、マニアの人気もそんなに出ない。当然、昔の練習機となると、現存数はとっても少なくなる。とくに旧軍の飛行機はそうだ。
 
 ところが、2017年の9月現在、青森県の三沢航空科学館には、そんな旧軍の練習機が展示してある。ただし、完全な状態ではないが。


 





 

一式双発高等練習機「キ54」を作った立川飛行機は、当時の航空機メーカーとしては中堅どころだ。
 
 二大巨頭が三菱と中島(今の富士重工)で、三番手が川崎、その下に川西(今の新明和)と愛知飛行機(現在はトヨタの一部)があって、立川はその次ぐらいだった。
 
 ただ、立川は個性がないメーカーでは決してなく、手堅く実用性の高い飛行機を作っていたし、あと、アメリカ製の旅客機をライセンス生産していた。
 
 アメリカは民間輸送業がいち早く発達した国で、そこで使われている輸送機は、軍用機としても十分使えそうなものが多かった。日本のメーカーはいずれも、それまであまり大型の飛行機を作った経験がなかったから、立川飛行機はその面で「ニッチ」を占めたともいえる。
 
 キ54は立川がライセンス生産した「スーパーエレクトラ」という旅客機を参考に開発されたもので、陸軍だけでなく、逓信省(ていしんしょう 現在の郵便局とNTTを合体したような役所)や民間企業にも売れた。

 世が世なら、この一式双発高等練習機が、日本の航空旅客業の黎明期を支えるはずだった。
 
 第二次世界大戦がはじまらなければ、の話だが。


 機体番号 どうも塗りなおしたらしい
 
総力戦では飛行機はことごとく軍用機とされる。

 飛行機としての基本性能が申し分ないキ54は練習機のほかに、輸送機や、当時実用化されたばかりの磁気探知機を積んで潜水艦の捜索なんかを行なった。

 三沢航空科学館にある機体は、業務連絡のために飛び立って、エンジントラブルか何かで十和田湖に墜落したもので、淡水の湖に沈んでいたがゆえに保存状態がよい。

 これが海水だったら、錆びて原形をとどめなかっただろう。


 他に回収された艤装

 主翼翼端灯


 「ハ13」発動機
 



 
 キ54は、他に中国とオーストラリアにあるけど、胴体部分だけが残っているにすぎないそうだ。

 筆者としてはこの展示品をありし日の姿に復元してほしいけど、むずかしそうだ。

「新造したほうが早い」状態だし、輸送機をわざわざ復元しようなんてコアなファンは、そう多くないだろう。





 
 
 
 最後はダイキャストモデルで、在りし日の姿をしのんでみる。
 

 

 



 
 



※2020年11月追記

11月8日で、三沢航空科学館での展示が終わるそうだ。

機体は製造した立川飛行機の子孫の会社に譲渡される。もはや飛行機会社ではないのだか…

こりゃあ、自衛隊が引き取るとかじゃない限り、再展示は難しそうだ。

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