ちょっとだけ、思い出話をする。
ハセガワの飛龍爆撃機は、大学生のころに一度、作ったことがあった。
大学の講義に、学術誌の記事をレジュメ(要約)化して、みんなの前で発表するってものがあったんだけど、東京の青梅市に墜落したこの飛行機の調査報告を、発表の題材に選んだのだ。
一年生の前期にやる、なんてことない「演習」だったのだけど、自分はまじめに取り組んだ。
発表の原稿を書き、原稿を読む声を録音して、聞き取りにくいところを洗い出す。
レジュメに関する質疑応答があるので、知識も可能な限り仕入れ、手に入る限りの資料を読み込んだ。
そして、飛龍を知るため、飛龍のプラモデルを、組み立てた。
それで、今回、十数年ぶりに作るにあたって、当時よりも「いいもの」を作ろうと考えた。
自分の中での「いいもの」とは、当時は持っていなかった技術や知識を使うということだ。
機体をミキシングして、架空の機体をスクラッチする
これが、自分にとっての「いいもの」となった。
★ミキシングの方針
「ミキシング」の説明だけど、これは二つのプラモデルを組み合わせて、市販品とは一味違う完成品を目指すって行為だ。
難しく考える必要はなく、例えばガンプラのZZガンダムにザクの頭をすげかえれば、それだけでもう「ミキシング」だな。
今回は、飛龍爆撃機のエンジンを、烈風という戦闘機のエンジンに換装して、架空戦記にありそうなオリジナルの機体を作る。
材料はこの二つ。
ハセガワ 1/72 三菱 キ67 四式重爆撃機 飛龍 イ号一型甲 誘導弾搭載機 飛行第62戦隊 プラモデル 02422
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今回選んだ飛龍のプラモは、当時(1944~1945年)開発中だった対艦ミサイルを積んだキットだ。ミサイルの方は、実戦部隊に配備されることなく開発が終了した。
で、烈風の方なんだけど、こちらも試作機が何機か作られただけで、生産が終了している。
ようは、開発終了×開発終了が合体し、もしも部隊に配備されていたら? のif機体を作るわけだ。
★組み立てと塗装
この飛龍は、元々は2000年発売のキットだが、パーツ精度もよく、組みやすい。
ディテールも細かいところまで再現しているので、下手に塗料を厚塗りして塗りつぶしてしまわないように、気を付けている。
・エンジンの取付
肝心のエンジンの取付に移る。
肝心だけど、むずかしいことはない。
飛龍のプラモのエンジンは、エンジンとその架台部分をいっしょくたに、円筒形のパーツにしているんだけど、そのエンジン部分を、のこぎりで切り落とし、組み立てておいた烈風のエンジンを装着するだけだ。
まず、切り落とす位置を決める。
切り落とす位置だけど、こんな感じでエンジン先端からマッキーのペン先が届くぐらいの位置が、ちょうどいいと思う。
マッキーででぐるりと円を描くように塗って、色がついたところを切り落とすイメージだ。
切り落としたら、エンジンを取り付ける前に、紙ヤスリでやすって平らにならしておく。こうすると、とりつけるエンジンが斜めになるのを防げる。削りすぎには注意(1敗)。
エンジンを切り落としたパーツ(左)と、烈風のエンジン(右)。烈風のエンジンはストレート組みで、説明書通りに色を塗っている。
あ、当たり前のことを言うけど、飛龍はエンジンが二台搭載されているので、烈風の方も二機必要だ。
ブログ主はパーツの追加注文を利用してエンジンのみ買ったけど、郵送料を考えるとまるまる一機買ってもなんぼも値段は変わらないぞ。
それで、切り落としたパーツとエンジンを、こんな感じで取り付ける。どうしてもできるすき間は、パテで埋める。
もともとの飛龍は、「ハ‐104」っていう1,900馬力のエンジンを積んでいたのだけど、今回換装した「ハ43-11」は、2,200馬力ある。馬300頭分のパワーアップだぜ。
「ハ43-11」の方が、「ハ‐104」より直径が小さいので、飛龍になんなく組み込むことができる。
・イ号一型甲無線誘導弾の組み立て
次に、付属のイ号一型甲無線誘導弾を組み立てる。
▲パーツ数は10点で、ほど良い感じ
組んでしまえば、小さな飛行機といった感じだ。
主翼の形はドイツのV1ロケットに似ていて(当時、ドイツから技術資料をもらっていたらしい)、尾翼の形は特攻機の「桜花」をほうふつとさせる。
次に、塗装を施す。
飛龍のプラモデルは、窓枠の塗装が面倒くさいことで有名で、日本の飛行機の中で一番面倒くさい説まである。ブログ主もこの説を押す。
胴体の前後と背中に、ガラス張りの銃座(自衛用)があるのだが、その窓枠がとにかく多くて、しかも微妙に弧を描いているのだ。
飛龍が飛んでいた時代、円柱状の大きな一枚ガラスを作る技術がなく、必然的に窓枠が増えてしまったらしい。
★完成
▲たしか、東南アジアに派遣された部隊のマーク
尾翼の部隊マークは、ハセガワの九九式襲撃機からの転用した。厳密に歴史考証に基づいたものじゃあない。
▲同じ陸軍機の飛燕戦闘機と並べてみる
飛龍はそれなりに大きな機体で、受領した隊員は、頼もしく思ったのではないだろうか?
一応、今回の飛龍は、オリジナルの飛龍と比較して――
・エンジン馬力が向上したので、スピードが上がった。
・電波高度計をつけたことで、地面(海面)すれすれで飛びやすくなる。(敵に見つかりにくくなる)。
・オリジナルにない迷彩を施して、見た目は強そう
ただ、仮に実戦に投入されたとしても、大活躍とはいかなかっただろうな。
そもそも、積んでいるミサイルの射程が、短すぎるのだ。
こいつが開発されていたのは20世紀なかば(1945年)は、ミサイルというものの開発が、はじまったばかり。
射程なんて、おおよそ1キロしかなかったらしい。
1キロと言ったら、お互いがばっちり目視できる距離だ。
つまり、目標にされた船は対空砲をバンバン撃ってくるし、船を護衛する戦闘機もかけつけるはずだ。
※ ※ ※
大学の演習での発表が終わった時、ぱちぱちと拍手が起こった。発表した人間だれしもが受ける、「お約束」の拍手だったけど、少し気恥しかった。
その演習にはミリオタがいなかったので、それほど深い質問は来なかった。
「この飛行機は何キロで飛ぶの?」
とかの、図鑑の知識で間に合うレベルだった。
演習を取り仕切る地理学の准教授も、いくつか質問をしてきたけど、とまどっているようだった。
地理というよりは考古学(近代遺産)の分野に近いものだったし、准教授(今調べたら教授になっていた。おめでとうございます)は、自然地理学専攻の人で、守備範囲外だったようだ。
結局、こちらが覚えた知識は生かされず、手元にはプラモと資料として読み込んだ本が残った。
それで最近、ひさかたぶりにその資料を読みかえして、新しくプラモも買い直し、この記事を書いたってわけだ。
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