2021年の6月。かねてから計画していた谷川岳登山を実行した。
雪がほぼ溶け、更に梅雨入り前のこの時期が、ベストのシーズンと思われたのだ。
危険な山ということで、かなり下調べをし、いくつかの装備も新調した。
今回は、その登山が失敗に終わった話。
▲右下の水上駅が出発地点。左上の谷川岳と書かれた文字の横の、オキの耳とトマの耳が最終目標
●当初の計画
(0930などは、9時30分に到達予定という意味)
水上駅0930→谷川温泉前1015→ホワイトバレースキー場1045→本沢水場1145→天神山1315(休憩30分)→熊穴沢避難小屋1415→肩の小屋1500(宿泊場所)
●水上駅からの天神尾根ルートについて
JR水上駅から3キロほど歩いてホワイトバレースキー場に行き、そこから保登野沢を遡行。高倉山と天神山の間を通り抜け、天神尾根に出る。そのまま尾根を通り谷川岳山頂部を目指す。
観光用のロープウェイが通っているのとは、山をはさんで反対側から登ることになる。
知名度は高くはないが、『山と高原地図』にはのっている、そんなルートだ。
●失敗の原因
①登頂開始時間の遅れ
②想定より道の状態がよくなかった
③まちがった道に進入した
④足を痛めた
①登頂開始時間の遅れ
私の場合、谷川岳のある群馬に行くには、上野駅を利用する。
上野駅から高崎駅か新前橋駅まで出て、そこで乗り換えて水上駅に向かうのだ。
ところがその日、上野~高崎間で問題が起こっていたのだ。
遅れ自体は致命的なものではなく、山行を諦めるほどのものではなかったが、乗る予定だった電車が混んでおり、一本後の電車に乗ることにしたのだ。
この遅れが、新前橋~水上間の電車の乗り遅れにつながり、結局水上駅についたのは10時40分ごろだった。
予定より、1時間近い遅れであった。
②想定より道の状態がよくなかった
それでも、11時45分ごろには、ホワイトバレースキー場に到着する。
まるでWindowsのデスクトップ画面みたいだあ(ご満悦)
草の萌ゆるゲレンデを北上して、森へと入る。
はしごを下って、いよいよ登頂を開始する。
沢を右岸左岸を行ったり来たりしながら、遡行する。沢登りというより、沢で分断された道を無理に進むみたいな感じだ。
沢は浅く、靴が多少濡れるぐらいで渡れる。
ところが、想定外のことに直面していた。
「道が、斜めになっている・・・」
山の斜面を沿うように登っていくのだが、ずっと谷側に向かって斜めに道がかたむいており、ちゃんとまっすぐ歩けないのだ。
道幅も30センチぐらいなところがあって、かなりに歩きにくく、二度ほど足を滑らせて危うく斜面をすべり落ちそうになった。
さらにまずいのが、まるで晩秋みたいに、落ち葉と枝が積もっているのだ。
落ち葉は足を滑らせるし、落ち葉に隠れた枝は足をもつれさせる。
「そうか。雪のおかげで、落ち葉が分解されないのか・・・」
この辺りは長野、新潟との県境で、豪雪地帯だ。雪の下では、微生物は働かない。
ついでに雪は、溶けるとき、景気よく道を削っていくことだろう。
それでも、えっちらおっちら進んでいると、なお悪いことが起こった。
雨が降ってきたのだ。
午後12時~18時の天気が曇りのち雨であり、降雨の可能性が高かったことは、前日に天気予報を確認してわかっていた。
しかし、それが予想以上にきつかった。
斜面を登るのがためらわれるほどの強さで、雷までともなう。二回も、雨宿りのため、歩みを止めた。
その斜面もまた、40度近い傾斜があるところが4か所ほどあり、突破に手間取った。這って登らなければならなかった。
なんでこの写真を撮ったのかというと、登る補助用に虎ロープが張ってあったからだ。
「そうそう、こういう道にはロープがあってしかるべきなんだよ!」
とツッコむ気持ちで撮ったのだ。
結局、本沢水場(地図上で水と青く丸がうってあるところ)についたのは、登頂開始から2時間後、14時のことだった。
当初家で立てた計画より、2時間15分の遅れが出ていた。
③まちがった道に進入した
それでも40分後には尾根に近い開けたところに出る。雨も少し弱まってきた。
なんだ、この、戦国時代の置き盾みたいな構造物は?
どうも、背後の送電線を落石から守るための障害物らしい。現在の盾ってわけか。
自分が、まちがった道を進んでいることに気がついたのは、すぐのことだった。
なぜなら、明らかに目的地とは逆方向に道が続いていたからだ。
▲緑矢印で描きこんだ方向に進んでしまった。本来は赤線のルートを進まなければならない。
どうも、送電線の保安路に入ってしまったらしい。手元の地図には載っていない道だ。
だが、比較的歩きやすい道であったこともあって、そのまま直進することにする。
自分の考えでは、そのまま湯蔵山と高倉山の尾根に出て、さらに尾根伝いに天神山を目指せるはずだった。
しかし、時間のかかるルートであることは違いない。
この時点で、日没までに肩の小屋に着くのは無理と判断する。
小屋の主人に予約のキャンセルと詫びの電話を入れる。幸い、尾根に近い部分だったので、電話が通じた。
目標地点を熊穴沢避難小屋に替える。これは、天神山から45分ほど歩いたところにあるコテージのような施設で、いざというときのため、登山者に無料で開放されている。
ここからなら、明日の朝早く出発すれば、頂上である、トマノ耳、オキノ耳を踏める。
地図を見直しながらそう考え、下ろしていたザックを背負い直したとき…
左膝に鈍い痛みが走った。
④足を痛めた
実は、さっきから微妙な痛みはあったのだ。
だが、いつもなら歩いていたら痛みがひくので、さほど気に留めなかった。
しかし、いっこうに痛みがおさまらない。
痛むのは関節で、以前、雲取山に登った時にも痛くなったところだ。下山した翌日の夜には痛みが引いていたから、さして気に留めていなかったけど、どうも変な「痛みグセ」がついてしまっているらしい。
それでも、進まないわけにはいかない。このままでは野宿する羽目になる。隘路の続くこの森で、野宿に適した場所はないと言って差し支えない。
幸い、尾根には出ている。尾根道は、場所にもよるが、比較的楽なことが多い。なるべく早く避難小屋について、足を休めたい。
高倉山へと、のろい歩みを進める。距離にして約1キロ。高低差は、おおよそ130メートル。たかが天保山30個分だ。
緩やかな、しかし今の自分にとってなかなかきつい斜面を登る。膝に神経をつねられるような鈍い痛みが走る。けれども、ようやく、高倉山が間近に見える地点に来た。
目の前に谷が広がっていた。
いや、実際は、谷というほど大げさではない、山脈の起伏だったのだろう。
だが、今の自分にとって、それは深山の谷だった。進みたくないと思った。
15時30分。撤退を決意した。
来た道を、そっくりそのまま引き返すのだ。
▲地図アプリに記録された、登山の全行程。左下SとGはスタート(記録開始)とゴール(記録停止)。
じつは、最初は、山の撤退でやってはいけないこと、すなわちショートカットをしようとしたのだ。
湯蔵山の北を抜けて、地図で「廃道」と書かれてある道を通って、JR湯檜曽駅(ゆびそえき)に行こうとしたのだ。
ところが、途中で高さ15メートルほどの崖に突き当たり、物好きが設置したらしい鎖はぶら下がっていたものの、
「今の体調では無理」
としずしず引きかえしたのだった(足の痛み倍増)。
そもそも、ショートカットを試みたのは、来た道を無事に降る自信がなかったせいでもある。
足に絶対優しくない急勾配を5箇所ほど思いついたし、先程の雨で、沢が増水しているかもしれない。
それでも動かないわけにはいかない。
時間はもう16時を回っていて、すでにビバーク(野宿)も考えていた。第一希望は今日中の下山だったが、登山者はこういう時のため、小さなテント(ツェルト)をザックに忍ばせている。
野宿の候補場所は、最初に見つけた鉄塔のふもとである。鉄塔の支柱を利用して、きっとうまくテントが張れるだろう。
(もし、この場所に、日没である19時5分以降にたどりついたら、ビハークしよう)
道中、間違って元々の正解の道に進んでしまう。憤怒の表情で引き返した。
左膝をかばって歩くものだから、右足まで痛くなってきた。太陽は順調に低くなり、雲の切れ目から真っ赤な光をのぞかせた。雲が血のように染まっていた。
目標の鉄塔には、日没前についた。
(しかし、18時40分か…)
どうする? 野営の決断は早くしなければならない。テントを張るなら、明るいうちにしたい。
とにかく、足に湿布を貼ろうと、靴を脱いだ。丈の高い半長靴(コンバットブーツ)なので、脱ぐのに手間取る。
足と一緒に、靴の中敷きも飛び出した。
妙なべチャリと音をたてた。
真っ赤に染まっていた。
見ると、悪夢みたいな数のヤマビルが、足にたかっていた。
谷川岳のこのコースで、ヤマビルが出ることは知っていた。
だから厚手の靴下を身に着け、コンバットブーツを履き、更にズボンの裾も完璧に靴の中に入れた。3重の対策を施したのだ。
「なのに、靴下の縫い目から血を吸うてるって、どういう了見や?!?」
warning!!! 興味がある人のため、ヒルの写真と刺されたあとをアップします。苦手な人は、写真2枚分以上スクロールしてください。
まずいことに、ヒル撃退スプレーなどといった近代兵器は持っていない。
とり急ぎ、ナイフ、ライター、落ちている枝などで、撃退した。
10分後。
とにかく一服しようと、魔法瓶に詰めていたお湯を飲んだ。昨日の夜に入れたものだが、まだ温かかった。
そこの地面には、ヒルが数匹、のたくっている。
降りよう、と思った。
ここにいたら、間違いなくヒルとさっきからまとわりつくブヨにボコボコにされる。
決めたからには、すぐに立ち上がる。
●ふもとへ
行きに比べて楽だったのは、斜面にて、滑り台のように降りれたことだろう。
尻をつき、片方の足を伸ばし、スピードが出過ぎないように注意をはらう。
ザックと、おろしたてのズボンが泥だらけになった。
今の自分では、間違いなく夜に沢下りをする羽目になるだろう、とは予想していたし、案の定そうなった。
夜の山を歩いた経験はほとんどない。
妙な話だが、夜の川は存外明るかった。
星や月の光を反射して、ぽっーと青白く光っていた。川のほんの近く以外は、鼻をつまむ手が見えない闇だった。
頼りになるのは、ヘッドランプと地図アプリ。特に地図は、表示された行きのルートと寸分違わぬ場所を通るよう、心を砕いた。
落ちたら助からない場所がいくつかあったし、道は常に谷の方へと傾いていた。
最後の方は、「平らなところ、平らなところ、」とつぶやきながら歩いていた。
だから、ゲレンデのごく平凡な小道に入ったとき、しばらく足で喜びを噛みしめた。
水上駅についたのは、21時21分のことだった。危機は去った。もう何も怖くない。
あとは、あわよくば上野、せめて高崎に出て、宿を探すだけだ。
終電が数分前に出ていたよ…
結局その日は、駅のベンチでの就寝となる。
寝る前に、向かいの自販機で買ったCCレモンが、異様においしかった。
●反省点
①登頂開始時間の遅れ
に関しては、そもそも地元の民宿かなにかで前日泊をして、朝早くからアプローチを開始すべきだった。なまじ始発を使えば、自宅から午前中に到着できる位置だったから、そうしなかった。
また、水上駅からバスでロープウェー駅まで行き、そこから高度を1000メートルほどかせげば、少なくとも肩の小屋には宿泊できただろう。当時は、その発想がなかった。
②想定より道の状態がよくなかった
に関しては、下調べ不足と言わざるを得ない。
元々情報が少ないルートとはいえ、地形や気候から予想すべきであった。
③まちがった道に進入した
のは、論外である。決して、見落とすようなわかりにくいルートではなかった。
④足を痛めた
こむらがえりとかではなく、関節の痛みなので、これを完璧に予防する手段がちょっと思いつかない。とりたてて歩き方がまずいとも思われないし…
ただ、登山用のストックは足の負担をかなり軽減するそうなので、導入を検討したいと思う。
※ ※ ※
最後に、下山で役に立った装備の紹介をする。
■役に立った装備
まずは地図アプリ。自分は、「ジオグラフィカ」というのを使っている。
夜間にルートを見出すのに、本当にお世話になった。
続いてヘッドランプ。写真右上。レッドレンザー製。
これがなければ、夜に一歩も歩けなかったに違いない。
あと、ファイントラックの「カミノパンツ」。
斜面で膝を大きく曲げてもつっかからないし、乾きが速いのは、雨模様では助かった(持ち込んだ100金のレインパンツは、最初の斜面で破れてお亡くなりになった)。
15000円と、自分が買ったズボンの中ではダントツで高いが、いい買い物をした。
以上、失敗談の提示を終わる。
あなたの山行の参考までに(大真面目)
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